泣かないよ
何てことない一日でした。社会の歯車として働いて、帰る頃にはくたくたで、すぐにソファに倒れ込んだ私にその人は優しくおかえりを言ってくれました。
ただいまぁ、と気の抜けた声で返事をすれば、遠くの方でくすくすと笑う声がします。それと料理を作る音も。
今すぐにでも立ち上がって、その手伝いに行きたいのに、体は言うことをきいてはくれません。次第に落ちてくるまぶたにあらがうことすらできず、私はそのまま寝てしまいました。
かくん、と首が大きく揺れて、目を覚まします。壁に掛けられた時計を見れば、帰って来た時間から一時間ほど経っていました。
寝すぎた、やばい、と慌てて立ち上がると、机の上にはちょっぴり豪華な料理が並んでいました。
美味しそう、と目を輝かせれば、作ったその人は嬉しそうに、照れくさそうに笑いました。何かの日だったかな、と思いつつ、食卓につこうと近づくと、手を洗ってきなさい、と母親のように言われました。
はーい、とキッチンに移動して、さあ、手を洗おうとしたそのときでした。私はようやく気づいたのです。寝る前まではたしかになかった、左手の薬指に指輪がはまっていることに。
え、とその人を見ると、同じような指輪が左手の薬指にはまっているのがわかりました。嬉しいのと驚いたのと、寝起きだから、かもしれません。頭がバグを起こしたみたいに、笑顔なのに泣きたくなって、うまく言葉が出てきませんでした。
泣いてるの、と優しく問いかけられて、首を振って答えます。泣かないよ、ばか。嬉しいだけだよ。そう思いながら、抱きつけば、強い力で返ってきました。結婚してください、と告げられて、はい、と歓喜に震えながらそう言いました。
何てことない日でした。だけど、こんな素敵な記念日になりました。
3/17/2023, 2:50:27 PM