人生における終点…それは「死」だ。生死は表裏一体であり、生きとし生けるものは皆等しく死ぬ。それが早いか遅いかの違いだけだ。
きっと私は、長生き出来ないであろう。生きてもあと20年、といったところだろうか。精神障害者は健常者に比べて短命であると医学的に証明されているし、自分自身精神を擦り減らし身体を酷使し過ぎた自覚もある。それよりもまず、長生きしたいという願望が一切ない。私は人生30年で良い、と思春期から強く思い続けていた。30で終わらせてしまおう、と。
何度も自殺を試みたが全て失敗、未遂に終わってしまった。私の覚悟が足りなかっただけなのかも知れないが、何故かいつも助かってしまう。人間はとても頑丈に出来ており、ちょっとやそっとのことでは死なないのだと再認識させられたし、看護師にも「苦しいだけで何にも変わらないよ」と言われてしまう始末。無意識に(恐らく解離していた)眠剤をODし昏倒、救急で運び込まれたときのことは、一生忘れられない。四肢を拘束されて完全に拘束された上尿管を通され、オムツを履かされた。これが所謂身体拘束と言われるものである。
幸い私の場合身体拘束は1日で済んだが、地獄のような時間であった。何より便意を催しそれを看護師に伝えた際、「オムツの中にしていいよ」と言われ、それしか手段が無く止むを得ず実行した自分自身を物凄く嫌悪した。アラサーと言えども女だ、良い年した大人がオムツの中で排便するなど、受け入れ難い行為であったのだ。オムツをするのは赤ちゃんもしくは老人であり、まだ若い(と思われる)私がする羽目になるとは思っていなかった。この身体拘束が良い意味で戒めになり、私はODや多量飲酒等の自傷行為を控えるようになったのだから、ある意味良い経験になったとは言える…。
だが自傷行為を控えるようになっただけで、飽くまで希死念慮は消えていない。
今でもふとした瞬間、猛烈に死にたくなる時がある。酷い時は、具体的にどう死のうかと自殺企図したりもする。私は双極性障害混合型だ。躁と鬱が混在している状態であり、最も自殺リスクが高いらしい。衝動的に自殺してしまう人が多いのだと、YouTubeか何かで見た。だから、気を付けなければならないと自分でも思っている。親より先に死ぬのは最大の親不孝であるし、自ら死を選ばずとも自然災害等で死ぬかも知れない。無理に死ぬ必要はないのだ、ましてや地獄の苦しみを味わってまで。
30を過ぎて、私は変わった。いや、変わらなければならない。今の私は、自殺未遂等しないであろう。文章を書いたり、占いをしたりと趣味が充実しているからだ。病んではいるが、それなりに上手くやれていると思う。そして何より、こうして私の駄文を読んで下さる方が居るのだと思うと、目頭が熱くなるのだ。いつかは文章を書いて生計を立てたい!と思っている私にとっては、身に余る光栄である。良い意味でも悪い意味でも嘘偽りない自分を、これからもさらけ出していく…。付き合っていただけたら、心より有難いと思う。
8/10/2023, 4:05:07 PM