「追儺《ついな》を執り行う」
宮司の言葉に、集まった者たちが一様に騒めいた。
「鬼ではないのだぞ!?」
「神を相手に意味はあるのか?」
「誰が方相氏《ほうそうし》の役を行うというのだ」
誰もが皆、不安を口にする。疲弊した彼らには、これ以上足掻く力は残されていないのだろう。
それを理解していながらも、宮司の表情は変わらない。強い意志を湛えた澄んだ眼差しで一同を見つめ、誰もが口を閉ざした後、ゆっくりと口を開いた。
「方相氏の役は我が子が負う。招いた神を祀った責は、我が一族で果たそう」
酷く静かな声だった。そこに哀しみの色はない。表情と同じく澄んだ響きが、部屋に落ちる。
「本来ならば私が執り行うべきことなのだろうが、厄移しの形代《かたしろ》を作らねばならない。それにこの子の方が適役だ」
いつの間にか、宮司の背後には方相氏の四つ目の面を被った子供が控えていた。何も言わず、微動だにしない子供に方々で息を呑む音がし、次いで先程よりも大きく周囲の騒めき出す。
「馬鹿なことを!」
一人が叫ぶように宮司の言葉を否定する。それを皮切りに、宮司を止めようと皆が必死に声を上げた。
「考え直せ!責などと……神の恩恵を享受した我らも同罪だろうに」
「この神社は村の拠り所なのだ。どうかその血筋を途絶えさせないでくれ」
「どうしても追儺を行うというならば、わしらが方相氏の役を担う。だからどうか……!」
だが皆の懇願にも宮司の表情は変わらない。控える子供も姿勢を崩すことなく、困惑し嘆く者たちの姿を見据えていた。
「私が父に願いました」
不意に、沈黙を保っていた子供が告げた。宮司と似た静かで迷いのない声に、辺りは一瞬で静まり返る。
「追儺の形を取りますが、村から追いやった後は封じます。厄が漏れ出てくることがないようにしっかりと閉じます」
子供の覚悟に、誰も声を上げることはできない。
止められぬのだと、理解してしまったのだ。自身の無力さに誰もが唇を噛み締め、強く拳を握り締めた。
「私ならできます。私は――だから」
行燈の灯りが揺らぐ。中の蝋燭の芯がじじ、と音を立て、炎を揺らめかせる。
「三方を柊で囲い、残る一方を……」
炎の揺らぎに合わせて、方相氏の面に陰が落ちる。
悲壮な覚悟を決める子供の代わりに、怒り、哀しみに暮れているようだ。
「私が村を守ります。それが十年でも、百年でも……たとえ千年先であっても、鬼の厄を閉じてみせます」
部屋の隅で彼らの嘆く声を聞きながら、燈里《あかり》は目を伏せ、繋いだ睦月《むつき》の手を握りしめた。
「鬼はー外!福はー内!」
楽しげな子供たちの声に、燈里はびくりと肩を揺らした。
節分の今日は、あちらこちらで豆まきのイベントが行われている。楽しげな街の様子とは裏腹に、燈里の気持ちは重く沈んでいく。
今朝見た夢の内容が頭から離れない。宮司の目が、方相氏の面を被る子供の声が、節分を楽しむ街を見る度脳裏を過ぎていく。
嘆息して、燈里は手にした買い物袋を持ち直した。気分転換に一人で買い物に出たが、徒労に終わったようだった。
「燈里ねぇ!」
不意に睦月の呼ぶ声が聞こえて振り返る。学校帰りの睦月が燈里に駆け寄り、どこか沈んだ顔をしてごめん、と呟いた。
「朝も言ったけど、気にしないの。夢を見ただけで、特に何かが起こったわけじゃないんだから」
「でも、わたしが見た夢に燈里ねぇまで巻き込んで……」
俯く睦月の頭を撫でながら、燈里は大丈夫だと繰り返す。
ただどこかの村の、いつかの一場面を見ただけだ。朝から落ち込む睦月に何度か伝えるも、彼女の罪悪感は少しも軽くはならないらしい。
恐ろしい体験をしたのは睦月も同じ。むしろ燈里が方相氏の姿を見る時には側に睦月はいたが、一番初めの方相氏との接触の際には彼女は一人きりだった。
数日前の怯えていた睦月の姿を思い出し、燈里は表情を暗くする。
「私のことより、睦月は大丈夫なの?学校では何もなかった?」
睦月と共に帰路に就きながらの問いかれば、睦月は首を振って力なく笑った。
「何もなかったよ。ただ今日は節分だからあちこちで豆まきの声が聞こえて落ち着かなかったけど」
燈里も先程似たような経験をしたばかりだ。急に恥ずかしさが込み上げ、頬が赤く染まる。
「仕方ないよ。鬼は外って聞くと、あの方相氏が思い浮かぶから」
「燈里ねぇもなの?」
「ついさっきね。豆まきのイベントをしてたのを聞いて」
睦月と目を合わせて燈里は笑う。
張りつめていた空気が少しだけ和らぐのを感じて余裕ができたのか、燈里は手にした買い物袋を睦月に向けて掲げ軽く揺らした。
「今日は節分だから恵方巻を作るよ」
「やった!お手伝いは任せてね」
「気にしなくていいのに」
笑い合いながら、道の角を曲がる。見えた家の前で、冬玄《かずとら》が落ち着きなく待っている姿を認めて、睦月はどこか揶揄い交じりに声を上げて笑った。
「ちょっとだけ買い物にでただけなんだけどな」
「相変わらずの心配性だよね。それでいて肝心な所はぐずらもずら《ぐずぐず》先延ばしにするんだから」
「睦月……」
流石に言い過ぎだとは思うものの、あながち間違いではない。そう思い、燈里は何も言えずに苦笑して歩み寄ってくる冬玄に手を振った。
「燈里」
「心配しなくても――」
大丈夫。
そう続けるはずの燈里の言葉が不自然に止まる。
「燈里っ!」
目を見開き硬直する燈里を睦月ごと庇うように、冬玄は一瞬で二人の前に立ち振り返った。
「鬼は外、鬼は外」
「例の方相氏か」
誰にも気配を悟らせることなく、方相氏は佇んでいた。
手には柊の葉のついた枝を持ち、鬼は外と無感情に繰り返している。
「村から外へ、遠くへ追いやれ」
右側から声がした。視線を向ければ、同じように方相氏の姿をした子供が柊の枝を手に立っている。
「柊立てて、転じて内へ」
「四方を打ちて、閉じ込めよ」
左側と背後から、声がした。
「鬼は外」
正面の方相氏がざり、と音を立てながら一歩距離を詰める。一呼吸遅れて、三方から土を踏み締める音が聞こえた。
いつの間にか四方を囲われていることに、冬玄は忌々しげに舌打ちする。
せめて燈里と睦月だけでも。
そう考え、冬玄の影が揺らぎ始めた時だった。
「――違う」
正面の方相氏の動きが止まった。
「まだ堕ちてはいない。鬼ではない」
ざわ、と、三方の気配が揺れる。
戸惑いを露わに、それぞれから声が上がる。
「鬼と同じ匂いがする」
「気配も同じ。神と人と、混じっている」
「違うというならば、鬼はどこに?」
困惑する冬玄たちを気にかけることもなく、同じ、違うと方相氏たちは口にする。
ふと燈里の脳裏に浮かぶのは、今朝見た夢のこと。
神を相手にすると誰かが言っていた。厄が漏れ出ぬように閉じると方相氏の役を担う子供も言っていたはずだ。
同時に思い出すのは、去年の梅雨の時期のこと。とある寺で見せた冬玄の異様な姿に、燈里の口からあぁ、と呻くような声が漏れた。
「鬼は外」
騒めき、困惑する気配を静かだが鋭さを持った声が鎮める。正面の方相氏は冬玄を見据えたまま、声を上げる。
「鬼を追わなければ。漏れ出る厄を閉じなければ」
その声を合図に、三方の方相氏がそれぞれ散っていく気配がする。それを見届け、正面の方相氏もまた止める間もなく遠くへ駆けていってしまった。
「――どういうことだ?」
困惑を強める冬玄に、燈里は何も言えなかった。
冬玄が恐ろしいわけではない。
ただ、揺らぐ冬玄の影に、言いようのない何かを感じていた。
20260203 『1000年先も』
2/4/2026, 9:32:47 AM