思い出

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「すいません、ありがとうございます。」

私が宿題を渋々進めていると、母が彼女を家に上げた。
先日、傘を貸した彼女だった。どうやら、休日にわざわざ返しに来てくれたらしい。

私は驚いて、彼女に

〔マジ?〕

と、失礼な言葉を漏らしてしまった。
慌てて、

〔いや、ありがとう。今度の学校で会った時でも、
大丈夫だったんだけれど。わざわざありがとう。〕

と付け足した。

彼女は、苦笑しながら

「そうなんだけれど、ちゃんとお礼を伝えたくて。
でも、お家の前まで来たのに、押しかけになって迷惑かなって怖気付いてしまっていたの。」

彼女のその言葉に、先程漏れたマジ?という言葉に罪悪感が湧いてくる。
彼女は少し嬉しそうに、続ける。

「そうしたら、お母様が玄関前で立っている私に気付いて、お家に上げてくださったの。優しいお母様ね。」

ニコリとして、そう言われた。

うん、気恥ずかしいな。
私は恥ずかしさを誤魔化すように笑った。
そして、話題を切り替える。

〔そういえば、今日って何か予定ある?
まだ午前中だけど。〕

彼女は、

「いいえ。先日の書類はもう終わらせてあるし、
する事と言えば、予習と復習くらいだったから。
特にはないの。」

そう答えた。

ただ、暇だからとは云え、貸した傘を届けに来てくれる
その真面目さに、感心をする。やはり、同い年とは思えない程に、しっかりとしている性格だと感じる。

だけども、私には少し不安がある。

彼女は、その真面目さ故に苦しく無いだろうか。
いつも品行方正であり、皆の手本で有り続ける、
そのプレッシャーは私には分からないだろう。

〔あの、もし良ければなんだけど。
少し、何処か出掛けてみない?勿論、嫌なら大丈夫。〕

私が言い出すと、彼女は目をパチパチさせて、
すぐに笑って、

「えぇ、是非行きたいわ。
私、あまり友達と遊びに行けた事が無いの。」

と、了承をくれた。
眩しい程にキラキラと彼女は笑っている。

遊びに行けた事が無い。
行った事が無いじゃないのか。

私はその言葉に何とも言えない引っ掛かりを覚えつつ、

〔何処に行こっか、やっぱりあそこのデパートとか良いかな?涼しいしさ。〕

何も気にしていない様に笑い掛けながら、話す。

「デパート、良いなぁ。あそこ、文房具とか本屋さんしか
見に行った事が無いの。何を見に行きましょう?
折角だし、雑貨を買ってみたいなぁ。」

私は頷いて、出掛ける準備を始める。

彼女の言葉に、重さを感じる。
人の家に口出し出来ないけれど、言いそうになる。

彼女の苦しさは、彼女しか分からない。
だけれど、その苦しさを少し紛らわせる事ぐらいなら、
私にも出来るだろう。

そんなやるせなさと、少しの覚悟とともに、
私は彼女と、デパートに向かった。

8/28/2023, 12:13:34 PM