石畳に革靴の音が響く。待ち侘びた帰路だというのに胸が沈むのは、同居している女が昨夜くだらない提案をしたせいだ。
明日から貴方が帰ってきたらハグで出迎えるから。
提案より宣言に近かったかと思い直す。人はハグをするとストレスが軽減されるらしい噂を聞いたの、と彼女が少し照れくさそうに笑いながら言っていた。俺には似つかわしくないほど甘ったるいその会話が脳裏を掠めただけで足が重くなる。
拒絶するのは簡単だ。しかし、あの細い体を突き放すことを考えると気が引ける。そう簡単に人間の骨が折れたりはしないと頭でわかってはいるが、それでも彼女を見るとあっさり壊れてしまいそうで心臓が縮み上がるのだ。
受け入れるのだって簡単だが、そこには恥と一言で言い切れない感情が居座っている。男としてのプライド、となんとも胡散臭い単語を当てはめても合点が行かない。
こうしてぐずぐず考えながらも、寄り道をする気にもなれずに家へ向かって靴音は続く。自分が思っているより俺は彼女に手綱を握られているのかもしれないと自嘲しながら、限りなく瑣末で俺には眩しくて堪らない幸福を目指した。
『この道の先に』
7/3/2023, 3:01:21 PM