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失恋/

本当に辛い失恋というのは
相手と想いが重なってから始まる。

彼に出会う前まで文字の失恋はしてきたが、心の失恋はしたことがなかった。

心の失恋はいっそ心臓をえぐり出したいくらいひどく痛み苦しいのである。

先日自ら別れを切り出したくせに彼の受け入れる様子にわたしはぐらぐらと動揺し、一旦は平常を装ってみたものの、すぐに床へ転げ回った。

お腹も空かず、ただただ胸の痛みに耐え、涙が頬をつたい床へ落ちていく。
だらりと死体のように倒れ込み動かなくなる体。
横向きの世界は縦向きの世界より落ち着いたが痛みは消えず増すばかり。

何の気力も生まれずろうそくの炎は勢いを無くしていく。起き上がることすらできず、わたしはこのまま死ぬのではないかと思うほどに力を失っていた。

動作が遅くなり何もしてないのになんだか疲れ果てて目を閉じる。心臓の鼓動がだんだんと弱まっているような気さえしてくる。

今のわたしが頼れるものと言ったらアルコールしか無かった。

冷蔵庫まで命からがら這いつくばって辿り着き、普段飲まないビールに手をかける。
冷たくなった缶ビールはやけに重たく現実味があった。

飲む動作だけはかろうじて出来るようでグビグビと涙と一緒に一口、また一口と飲み込んでいく。

目を閉じ思い出すのは彼のことばかり。
彼の優しさだけが思い出され、あたたかい彼の笑顔や面影だけが映し出されていく。そしてまた泣けてくるのだ。
わたしはなんと愚かなことをしたのだと自分を悔いた。
失ってから気付くなんてよく言うがそんなこと、と嘲笑していたわたしだが、当事者になった今、馬鹿にしていた自分を悔いた。

アルコールを飲んで余計にぐちゃぐちゃになった心と顔でもうどうしようも無くなり、もう遅いかもしれないが彼と話したいと思った。彼の声が聞きたいと思った。

まだ話したいことがあるので時間がある時に連絡ください。

そうメッセージを送り、彼からの返事を期待しないよう待ち望んでうなだれていた。

意外にも彼からすぐに電話が来て、わたしの想いは吐露できることとなった。

ごめん。無理、なの。ごめん、もう、本当に、無理なの。

泣きながら吐き出される綴られてない途切れ途切れの言葉達に彼は
泣いてんの?といつもより少し低めの声で呟く。
わたしは精一杯気持ちを伝えた。

彼は静かに耳を傾けてくれている。

今気付いたの、こんなに好きだって。あなたがいないと無理だって。こんなに支えられてたんだって今わかったの、遅いよね、自分から言っといて、、うぅ、、、ごめん、でも無理だよ、あなたがいないと無理。なんにも手がつけられなくて、もう無理なの、本当に、うぅ

時折、嗚咽しながら吐露する私の言葉に優しくも少し悲しげに、彼は静かに聞いてくれていた。

そして彼もぽつりと話し始める。

俺は好きだった、精一杯まっすぐに伝えてきたつもりだった。だけど全く伝わってなかったんだということがわかって、悲しくて、気持ちに蓋をしてしまった、と。
昨日、今日で好きな気持ちが無くなることはないけれど、正直わからない、と。

そう。彼はいつも素直でまっすぐで嘘がつけない人だ。
そんなところも大好きで、なのになぜ信じられなかったのかと自分を切り刻んでやりたいくらいに後悔の念が押し寄せ、押し潰されている。
わたしはその正直な言葉に突き刺され心臓から血が流れ出てくるような痛みを感じていた。
それは代わりに涙と嗚咽となって流れ出ていく。

間違えた。わたしは間違えたのだ。
取り返しがつかない間違いを犯したのだ。

うぅ。会って、話、が、したい。

そう泣きながら何度もわたしはお願いをした。
魂からの必死の訴えに、彼はしぶしぶ、わかった、と了承をくれた。

その瞬間またわたしの体に徐々に血が通っていく感覚がして力が戻ってくる。

ありがとう、と感謝して電話を切った。

よかった。また会えることになって本当によかった。
とまた泣けてきて声をあげ涙を流すのでした。


彼が来るからと部屋の掃除をしながら日中をやり過ごし、日が沈んだ頃、
ピンポン、と室内にチャイムが鳴り響く。
緊張と嬉しさを胸に隠し扉を開けると、そこには仕事を終えた彼が立っていました。

思わず彼の手を手繰り寄せグイグイと玄関の中へ引き入れていく。
戸惑い少しよろける彼に嬉しくて切なくて心臓がぎゅうと締め付けられ泣きそうになる。

ごめんね。
わたしの口から最初に出た言葉はこの一言でした。

そして電話で話したようなことを今度は落ち着いて丁寧に彼に伝えていきました。

わたしは気持ちを言い、彼は真剣に聞いてくれ、
彼も気持ちを言い、わたしは聞きました。

そんなやり取りを繰り返し、
最後の最後に、彼はぽつりと

「蓋、外れた、かも」

と細く小さく呟いた。

その瞬間、一斉に点くイルミネーションのようにわたしの心はみるみる明るくなり、視界がひらけ、世界に色が戻っていく。

あなたはいつもたった一言で
わたしの心の霧を一瞬で晴らしてくれる。

あぁ、やっぱりあなたしかいない、わたしの世界を明るく鮮やかにしてくれるのは彼しかいない、そう強く確信し、涙が溜まったぼやけた瞳で彼の目を見つめた。

彼に引き寄せられ抱きしめられた瞬間、心から安堵し、我慢していた涙と気持ちが溢れ出て止まらなくなり彼の肩を濡らした。

彼は優しく、時折強くわたしを抱きしめ、わたしの気持ちを余すことなくすべて押し出してくれた。


わたしは今日、はじめて
本当の失恋というものを知った。

そして今日、はじめて
本当の恋をしていることにも気がついた。

彼の優しい腕に抱きしめられながらもう絶対に離れないと誓った。どんな時もどんな事があっても彼を信じると誓った。
今なら神父さまの誓いますか?の言葉に、
心から、はい、と言えそうだ。


失恋はひどく痛くて苦しいものでした。
わたしには一日も耐えることができないほどに。


彼の腕越しに見えたテーブルの上の飲みかけの缶ビールが薄灯りにぼんやりと浮かぶ。
しかしもうとっくにぬるくなり力を失ったようだった。

6/3/2024, 3:52:57 PM