sairo

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ふと思いついて、手紙を書こうと思った。
引き出しの奥に仕舞い込んで忘れていた、綺麗な花が描かれている便箋と封筒。机の上に広げてペンを持つ。
さて、何を書こうか。
考えて、はたと気づく。誰に向けての手紙かをまだ決めていなかった。
手紙を書きたい相手はいる。けれどまず誰に書くのかを考えると悩んでしまう。

「――まぁ、思いつく全員に出すのだし、一番最初から順に書いていけばいいか」

最終的にはそう結論付けて、改めて便箋に向き直った。
書き出しはどうしよう。少し考えて、シンプルに伝えればいいと小さく笑う。
ペンを握り、ゆっくりと文字を書いていく。

――一番最初の私へ。

どうか伝わってほしい。そう願いながら、思いを言葉に綴っていった。





「ねぇ、見て!これってあの子にそっくりじゃない?」

そう言った友人には、恐らく悪意はなかったのだろう。
けれどその言葉一つで、少女の在り方を決められてしまった。

自身の影と向き合うように、少女は俯きがちに歩いていく。
一人きり。少し前までは一緒に帰っていた友人たちは、ある言葉一つで離れてしまった。

――このキャラに、似てるよね。

それは、とある物語に出てくる悪役だった。自信過剰で強欲、傲慢。最後に倒されるためだけに存在するような、誰もが好きになることなどないだろう人物。
少女とは似ても似つかない。性格は控えめで、誰かの物を欲しがったりなどもなかった。
ただ名前の響きが似ていたこと。そして髪型がなんとなく似ているという、子供の曖昧な見立てだったのだろう。
けれどその言葉は、不思議と周りに広がってしまった。少女の周りから一人、また一人と友人が離れていく。
そして今、少女は一人きりだ。悪役に似ているという最初の言葉は忘れられ、その悪役のイメージだけが少女と重なってしまっていた。
何度違うのだと言っても、周囲に少女の言葉は届かない。いつからか少女は何もかもを諦めて、ただ俯き日々を過ごしていた。

「――あれ?」

ふと何かに気づき、少女は立ち止まった。
顔を上げる。辺りを見回し、困惑したように眉を顰めた。
いつもの帰り道ではなかった。見知らぬ木造の家々が並ぶ、不思議とゆったりとした場所。
遠くで少し気の抜けたラッパの音がする。空腹を誘うような夕飯の匂いがどこからか漂い、少女の腹が控えめに鳴った。
ちりん、とベルの音。振り返れば自転車を下りた郵便配達員が、少女にゆっくりと歩み寄ってくる。

「郵便です」

そう言って手渡されたのは、綺麗な花の絵柄が描かれた封筒。

『あの頃の私へ』

宛先には、ただそれだけが書かれている。
少女は少し迷い、静かにそれを受け取った。
封を開け、中身を取り出す。封筒と同じ花の絵が描かれた便箋には、短く温かな言葉が書かれていた。

――あなたは一人じゃない。神様はちゃんとあなたを見てくれている。

仄かに、便箋に熱が宿った気がした。
少女は何度もその言葉を読み返し、そして丁寧に便箋を元のように折りたたんで封筒へとしまった。
顔を上げる。気づけば辺りはいつもの帰り道。丁度神社の前に立ち尽くしており、少女は首を傾げて辺りを見た。

「――夢?」

手にしていたはずの封筒もない。まるで白昼夢でも見ていたようだ。
不思議に思いながらも、少女はいつものように神社の石段を上がっていった。





薄暗くなった道を、少女は速足で歩いていく。
唇を噛み締める。偶然聞いてしまった母親の話す言葉が頭の中でぐるぐると回り、気分は最悪だった。

――あの子はいつも我儘で、少しはお兄ちゃんを見習ってほしいわ。

母にまでそう見られていたことに、少女は少なからず落胆を覚えた。家族だけは本来の少女のことを理解してくれていると、そう信じていたからだ。
衝動のままにその場から逃げ出し、ようやく少し冷静さを取り戻して立ち止まる。

「ここ、どこ?」

眉を寄せる。気づけば知らない場所まで歩いてきてしまったらしい。
良い言い方をすれば昔懐かしい和風の、悪い言い方をすれば古めかしい木造の家々の並ぶ場所。温かみのある明かりが灯り、テレビの音や楽しげな笑い声が聞こえてくる。
ちりん、とベルの音がした。視線を向ければ自転車を止めて、郵便配達人が下りようとしている姿が見えた。
興味を引かれ、少女は郵便配達員へと近づいた。郵便配達員も少女へと歩み寄り、一枚の手紙を差し出した。

「郵便です」

少女は受け取り、封を開く。中の便箋を開いて目を通した。

――どうしても耐えられなくなったのならば、逃げ出したっていい。逃げ場は神様が作ってくれる。

文字が淡く光を帯びた。周囲の家から漏れる灯りよりも、とても優しい光だった。
少女は詰めていた息を吐き出す。ゆっくりと便箋を折りたたみ封筒にしまって、緩く頭を振る。

「逃げても、いい……」

呟いて、顔を上げる。気づけばそこは、いつも訪れている神社の前。手にしていた封筒はどこにも見当たらない。
しばらく神社を見つめ、少女はゆっくりと石段を上がり始めた。大分落ち着いたもののまだ気持ちの整理はついておらず、家に帰りたくはなかった。





少女はひたすらに走り続けていた。
クラスメイトに言われた言葉が胸を抉る。仄かな恋は粉々に砕け、その破片が痛くて堪らない。

――お前ってさ、欲張りだよな。

少女は何かを欲しがった訳でも、奪った訳でもない。ただ今まで学んできたことを試験で発揮し、結果を出しただけのこと。しかしクラスメイトはその試験の結果が気に入らず、全ての試験で結果を出した少女を僻んだ。
その時、少女はクラスメイトを一瞥しただけで、何も反応を見せなかった。けれど帰路につく途中で、気持ちが溢れてしまった。
息が切れ、足がふらついて立ち止まる。肩で息をしながら辺りを見回せば、そこは見知らぬ場所だった。
時間が止まったような、古い木造の家が並んでいる。辺りはしんと静まり返り、少女の荒い呼吸音がやけに大きく聞こえていた。
ちりん、とベルの音がして、少女は反射的に音のした方へ駆け寄った。自転車に乗った郵便配達員が少女の前で止まり、鞄から一枚のはがきを差し出した。

「郵便です」

はがきを受け取り、裏の文面に目を通す。読み終えた瞬間、少女は再び走り出した。

――神社の社の後ろ。

ただ一言。その言葉に従い、神社を目指す。
見知らぬ場所を通り過ぎ、見えた鳥居へと向かう。
石段を駆け上がる少女の頬を、気づけば冷たい滴が伝い落ちていた。





手紙を書き終えて、ペンを置く。
便箋は、全て使い切ってしまった。大きく伸びをして、息を吐く。

「何を書いてたんだ?」

机にお茶とお菓子を置きながら、彼が不思議そうに問いかける。
ずっと気になっていたのだろうけれど、こうして終わるまで見守ってくれている優しさに笑みが浮かんだ。

「あの頃の、一人ぼっちだった私に手紙を書いてたの。届けばいいな」

書き終わった手紙は一枚もない。書き終え、封筒にしまった途端に霞んで消えてしまったからだ。
届けたい相手の所へ届いてくれればいい。そう思いながら、彼が淹れてくれたお茶に手を伸ばした。

「届くよ。残らないかもしれないけれど、ちゃんと届く」
「そっか……」

優しい声を聞きながら、湯飲みに口をつけた。熱すぎず、かといって温くもない。彼のように優しいお茶の味が口の中に広がって、ほぅ、と吐息が溢れ落ちた。

「おいしい」
「よかった」

彼が笑う。穏やかなその微笑みに、じわりと心が温かくなった。
一人きりでは感じなかった温もり。
手紙を書いた、あの頃の自分たちへ少しでも届けばいい。そう願っている。



20260524 『あの頃の私へ』

5/25/2026, 6:16:10 PM