静寂の旋律
放課後の音楽室には、静寂とピアノの音色だけが響いていた環が奏でる旋律は、どこか切なく、優雅だった。彼の指が鍵盤の上を滑るたびに、萌香の胸はぎゅっと締め付けられる。
いつもこの時間になると、彼は音楽室に現れ、ピアノを弾く。それを知っている萌香は、授業が終わると真っ先にこの部屋に足を運ぶのが日課だった。
環の背中を見つめる萌香の心は、いつも言葉にならない思いで溢れていた。彼に話しかける勇気が出ないまま、ただ音に身を委ねることしかできなかった。彼の横顔を見るたびに、心の中で「好き」と何度もつぶやく。けれど、それを声に出すことができない自分が悔しかった。
音楽室には、彼女たち二人だけが存在しているかのような空気が漂っていた。音楽に没頭する環は、萌香の視線に気づく様子もなく、ただ静かに曲を奏で続けた。その姿はどこか神聖で、彼女にとっては手の届かない存在のように思えた。
「環くん…」萌香は心の中で名前を呼んだ。もしこの瞬間、彼が振り向いてくれたなら、何かが変わるのではないかと思った。だけど、ピアノの音に包まれた空間で、彼女の声はただの幻想に過ぎなかった。
環の演奏が終わると、萌香は静かに立ち上がり、音楽室を後にした。自分の気持ちを伝えられないまま、また明日もここに来ることを心に誓って。
その背中を見送る環は、微かに微笑んでいたことに萌香は気づかなかった。
8/12/2024, 1:05:29 PM