知性という名の禁断の果実
ひとたび齧れば頬っぺたが奈落の底に落ちるほど美味
毎夜ごと左耳から囁かれる問い
私という存在の意味
生まれ落ちたのは罪か、生きているのは罰か
吐き出せない林檎のかけらが喉を締め付ける
はじまりから終わりまでの
物語の意味なんてア・プリオリ
悪魔の証明なんてやめて認めて
罪の前には罪があるだけ
意味がないことは無いんだよ
何もなければ何も生まれないはずだったのだから
すべては逆さに捲るページのよう。
形而上学の有名な問いにWhy not nothing?というものがあり、究極の問いとも呼ばれるこの問いは、あらゆる問いの中でもっとも根源的であると言われています。原因の原因についての頭が変になりそうな追求。何も無いなら無いという考えに至らない、つまりは何かがあるからそれについて考えるという無限に続いていくようなこの問いに人生の殆どを使ってしまっています。意味がないということは、意味があることに対して使われるはずなのです。生まれながらの罪人なら、失うものなく生きながらえられるでしょうか。
ちなみに、世界各地で"左"というものは悪のイメージがあるようです。悪魔、不正、間抜け、価値のない、不潔、女性。
ラテン語の左sinisterは悪魔的という意味で、両利きambidextrousは直訳で両方右手。そういえばアダムとイブの絵画は、大抵アダムの左側にイブがいるような気がします。沢山見たわけではないのではっきりとは言えませんが。
意味がないこと
11/8/2024, 11:20:46 AM