sairo

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「何をなさっておられるのですか?」

空に燻る一筋の煙を辿り、着いた先の光景に、水色の振袖を纏う少女は首を傾げて問いかける。
河の畔で男が一人、焚き火をしていた。叺《かます》から紙の束を取り出しては、それを火に焼《く》べている。

「何って、手紙を燃やしてんだよ。お焚き上げってやつだ」

火を怖れているものの、焼べられた手紙が気になるのだろう。少女は火の粉が爆ぜる度に肩を跳ねさせながら恐る恐る男に近づき、その手元を覗き込んだ。

「呪、ですのね。恨み、嫉み。誰かの不幸を望む、悪意に満ちた手紙」

顔を顰め、少女は忌々しいと言わんばかりに紙の束――少女曰く、悪意の手紙を睨めつける。男の傍らに置かれた叺に未だ残る手紙を躊躇なく鷲掴み、苛立つ感情と共に火の中へと投げ入れた。
炎が上がる。勢いを増す黒い火に、きゃあと悲鳴を上げ、少女は慌てて焚き火から距離を取った。

「もう、吃驚させないでくださいまし」
「おひぃさんが焼べたからだろうに。なぁに言ってやがる」
「わたくしが火を苦手とする事も、呪う手紙を厭う事も知っておいででしょう」
「その割には…まぁ、いいか。それより、何か用かい?」

肩を竦め、男は少女に問いかける。言いたい事はいくつかあれど、少女の妖としての質を思えば仕方がない事なのだろう。何せ恋文に対する女の情念が形を取って応えたのが少女だ。火気も手紙に込められた悪意も、少女にとっては禁忌である。
男の問いに、しかし少女は眉尻を下げ首を振る。要件など特にはないのだと、申し訳なさそうに男に告げた。

「煙が見えたので、散策の序でに辿っただけです」
「珍しい事もあるもんだ」

妖としては珍しく、人間の望みに応えるために現世いるよりも、少女は己が掻き集めた物語を収めた書庫に籠もる事を好む。故に、こうして外で言葉を交わす事は、少女が何か要件がある時だけであった。

「失礼ですね。常に書庫に籠もっている訳ではありませんよ」
「そりゃあ、すまなかった」

頬を膨らませる少女に、男は気のない謝罪を返す。
勢いが落ち着いて来た火の中に手紙を焼べながら、男はふと手紙に視線を落とした。
悪意の手紙。現世にある木の洞に入れられていた、いくつもの呪の塊。
願いを叶えるという、歪んだ認識で出来た呪《まじな》いの手紙もあるが、結局はその大半も誰かを呪う手紙だ。
少女はこの手紙の想いに引き摺られてきたのだろうか。

「なぁ。この手紙を、おひぃさんはどう思う?」

男の問いかけに、少女は目を瞬き。次いで眉を顰め、叺の中に手を入れる。手紙を取り出し広げると、そこに書かれた赤黒い死の文字を男に突きつけ、ふん、と鼻を鳴らす。

「美しくありませんね。手紙とは、相手を想い書くものです。それを妬み、憎しみを抱いて。剰え相手に死を望むなど、醜さすら感じますね…そも、手紙の作法を無視したものを、わたくしは手紙と認めたくありません」

突きつけた手紙を、少女は容赦なく破り捨てる。手紙だった紙くずを火に焼べるその様に、男は何も言えず引き攣った笑みを浮かべた。

「おっかねぇな」

小さく呟いて、手にしたままの手紙を火に焼べる。
その言葉に眦をつり上げる少女に、すまん、と謝罪をして、男は短く息を吐く。どうやら少女はこの手紙に引かれた訳ではなさそうであった。ならばやはり、少女の言うようにただ散策の序でだったのだろうと、懐に手を当てつつ男は片手を叺に入れ手紙を出す。
叺に残る手紙を火に焼べる。こうして全て燃やしても、それで終わりにはならない。現世では呪いを信じた人間達が、今も木の洞に手紙を隠しているのだ。

「ったく。めんどくせぇな」
「如何しました?」
「こんな面倒事に、なんで俺が取り込まれちまったんだろうな」

残る手紙全てを取り出して、火に焼べる。黒々と燃え盛る焚き火を前に、男は愚痴を溢す。この火が消えれば、また現世に行き、手紙を回収しなければならない。

「それは仕方がない事です。貴方様を見立てて、人間は呪いをしたのですから」

男は元々、泣く子供を叺に入れて連れて行くという話が形を取り応えた妖だった。泣きわめく子供を隠す男の質を、子供を隠す、と呪いを始めた人間は解釈し。そこに手紙に書かれた人間を隠す、と解釈を広げ、呪いは広まった。

「なんで広まっちまうかね。手紙に応えた事は一度もねぇってのに」
「偶然とは怖ろしいものですわ。偶然の結果を、その原因が手紙を書いたからだと結びつければ、一瞬ですもの」
「偶然、ねぇ。勘弁してもらいてぇもんだな」

はぁ、と溜息を溢しながら、男は勢いの弱まった焚き火を木の枝で浚い、中から何かを引き出した。
所々が黒く焦げた紙の内側から除く紫色のそれは、どうやらさつまいもであるらしかった。まだ熱いそれを手に取り、紙を剥いて割ると黒に近い紫の果肉が露わになり、少女は眉を潜める。

「おひぃさんも食うかい?」
「悪意に満ちた手紙を焼べた火で芋を焼くのは貴方様くらいでしょうね。とても嫌な色をされておりますが、問題はないのですか」
「あぁ。これは元々こんな色だ。人間の努力の結晶だよ」

うめぇぞ、と手にした片方に齧り付きながら、男はもう片方を少女に差し出す。訝しげにしながらもさつまいもを受け取り、恐る恐る口にする。控えめな甘さに、驚いたように男を見た。

「おいしい、ですね」
「だろう?楽しみがなけりゃ、やってけねぇからな」

空になった叺を一瞥し、さつまいもを囓る。疲れた様子の男を見ながら同じようにさつまいもを口にして、少女は小首を傾げ疑問を口にする。

「手紙に応えるつもりがないのでしたら、そのままにしておけばよいでしょうに」

面倒だと言いながら、律儀に手紙を回収する男の意図が分からない。いっそそのままでも、男にとって支障はないだろうに。
そう問えば、男は決まりが悪そうに視線を逸らした。

「あのままにしておいたら、人間に障りが出るだろうが。ごく稀にだが、純粋な願いを書く奴もいるからな」
「それは貴方様の懐に大切にしまってある、手紙の事でしょうか?」

その言葉に、男は盛大に咽せた。

「申し訳ありませんっ。わたくし、そんなつもりではなかったのです。焼べた手紙とは違い、暖かな想いが感じられまして、それで」
「っ、いい。それ以上言わんでくれ」

必死に息を整えながら、男は少女を止める。申し訳なさそうな少女を横目に、叺を背負い上げ立ち上がる。
気づけば、火は一筋の煙を残し消えていた。

「感謝の言葉でしょうか。短い言葉であれど想いははっきりと伝わる、とても素晴らしい手紙ですわね」
「勘弁してくれ」

嬉々として語り出す少女に、男は何とも言えぬ顔をする。残ったさつまいもを全て平らげ焚き火の後始末をしながら、そっと懐に手を当てた。
ありがとう。ただ一言だけだ。それを火に焼べず後生大事にしまってあるのは、手紙を書いただろう娘の事を男が少なからず気にかけているからだろう。
娘の消えた母は戻れたのだろうか。願いを叶える質の妖に声はかけたが、その後の事を男は知らない。以前よりも足繁く通うようになったが、それきり娘と会う事はなかった


「行かれるのですか」
「あぁ、おひぃさんも気ぃつけて戻れよ」

後ろ手を振り、男は歩き出す。
その背を見送りながら、少女は淡く微笑んだ。

「彼方側で良き便りに相見えますよう、想っております」

深く一礼し、男とは反対の方向へ少女もまた歩き出す。
誰もいなくなったその場所を、名残惜しげに風が吹き抜けた。



現世にて。
男は木の洞に隠された手紙の中に、呪ではない一通の封筒を見つけた。
淡い薄浅黄色の封筒の中に、同じ色の便箋が一枚。
母が戻って来たという報告の最後には、感謝の言葉が綴られていた。
男の口元が僅かに緩む。便箋を丁寧に封筒に戻し、己の懐にいれた。
その後、手紙がどうなったのか。
その行方を知るのは、男だけだ。



20250219 『手紙の行方』

2/20/2025, 4:22:53 AM