sairo

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少年がその神社に訪れたのは、夜も更けた頃の事だった。
暗闇に紛れるようにして境内を抜け、社の前で只管に願う。

「お願いします。どうか」
「何をしている」

気づけば、少年の目の前には縄で四肢を繋がれた男の姿。この神社の祭神が不機嫌そうに少年を見下ろしていた。

「貴様。何故此処にいる」

険を増す眼に、それでも少年は怖れる事はなく。縋るように必死で祭神に願いを口にする。

「お願いします。あの人を、師匠を助けて下さい。俺たちからあの人を取らないでっ!」
「何の話だ」

問う言葉に、少年は祭神を睨み付ける。恐怖を、憎悪を、不安を、憤怒を混ぜた涙に揺れる目が、強く訴えかける。

「おまえらが師匠をばけものの所に連れていったんだろ!師匠は師匠なのに、おまえらは師匠を藤白《ふじしろ》にする。師匠にはもう関係がないのに、藤白としてばけものを何とかしろって、そう言ったんだろうが!」
「くだらんな。あれの意思を我の責にするな。不愉快だ」
「おまえらのせいだよ!だって師匠がばけものと会う必要なんてないんだ。会わないようにずっと避けてきたのに。それを、おまえらが」

叫ぶような声は、次第に力をなくしていき。静かに崩れ落ちるようにして少年は膝をついた。
強く握りしめた手が震える。爪が皮膚に食い込んで、滲んだ赤が地に滴を落とした。

「師匠が言ったんだ。じゃあねって。いつもはまた明日って、そう言ってくれるのに。言葉を正しく使う人なのに、これじゃあもう戻ってこないって、そう思って」

ぽつりぽつり、と呟かれる言葉。
不安なのだと訴えかける少年を、祭神は何も言わず冷めた目で見下ろしていた。

「師匠がいなかったら、俺たちはずっと一人のままだった。一人ぼっちで、寂しくて苦しくて逢いたい気持ちを抱えて、消えていくだけだった。俺たちにとって師匠は恩人で、特別なんだ。いなくなってしまったら、俺たちはまた一人になっちまう」

俯く少年からは、先ほどまでの強さは見られない。まるで迷子の幼子のように小さな体をさらに縮めて蹲る。

「師匠がいたから、また明日、って言葉を信じられるようになったのに。また明日会いましょうなんて不確定な言葉。ようやく言えるようになって、手を離せるようになったのに。それを、おまえらが」
「諄い。貴様は我に何を望む」

祭神の言葉に、俯く少年が徐に顔を上げた。
虚ろな目が祭神を見上げ、どうか、と震える唇を開いた。

「お願いします。俺をあのばけものの所へ連れて行って下さい。師匠を守りたい」

願う言葉に、祭神は見定めるように少年を見下ろした。
暫しの沈黙の後。
祭神は社を振り返り、弟妹を呼んだ。

「寒緋《かんひ》。銀花《ぎんか》」
「それも連れてけっていうのかよ、兄貴。姉ちゃんもいないのに子守なんざ無理だぜ」
「連れていくだけだ。それ以上は関与せずともよい。黄櫨《こうろ》以外の生死に興味はない」
「相変わらずだなぁ、兄貴は」

にやり、と社から現れた大柄な男は笑い、傍らの鬼灯を手にした左腕のない少女に行けそうか、と声をかける。
りん、と鈴の音。

――大丈夫。でも送るだけでいいの?

小首を傾げた少女に、祭神は頷き肯定する。

「問題ない。戻るだけなら寒緋だけの方が都合がよい。彼方側は我の眼でも見通せぬ故」
「銀花も気をつけろよ。俺なら大丈夫だ。何かあっても兄ちゃんが来てくれる。そんな気がする」

少女の頭を撫でながら、心配はいらないと男は告げる。それに少女は笑みを返して、少年の隣に歩み寄った。
少女に続いて男もまた、少年の隣に立つ。

「んじゃ、行ってくるぜ」
「何かあればすぐに戻れ。よいな」
「心配性だなぁ、兄貴も」

突然の事に戸惑う少年を置き去りにして。
祭神とその弟妹達は頷き合う。

そして、少女の手にした鬼灯が光を灯し。光が少年達を覆い隠していき。
眩い光が弾けたその後には。

少年達の姿はもう、そこにはなかった。





「という訳だな」
「待って。本当に待って」

にこやかに笑う男に、耐えきれずに待ったをかける。
今の説明では、つまりここに来ているのは、男とあの子という事になる。

「つまり、嵐《あらし》がここに来ているって事?この母屋の中に?」
「あぁ、そうだな。着いてからすぐに別れたから、何処にいるのかは分からねぇよ」

最悪だ。どうしてこうなったと、痛むこめかみを押さえる。

「探した方がいい?」
「そうだね。他の皆の事も心配だし。探した方がいいかも」

彼女達の心配そうな声に、首を振る。

「嵐なら一人でも大丈夫。時間がもったいないし」
「でも」

優しい二人に笑いかけ。大丈夫だからと声をかけた。
あの子は無事だろう。こういった荒事に対処するのは得意な方だ。
問題があるとすれば、それは。

「っ師匠!」

母屋から聞こえた声。次いで体に感じる衝撃と塞がれる視界に、思わず呻く。

「師匠、師匠」
「大丈夫だよ。ほら泣かないの」
「泣いてない。でも師匠が無事でよかった」
「ごめんね。心配かけた」

別れた最後の記憶のそれより大きな体に、出かかる溜息を何とか呑み込んだ。
体だけが成長したこの子は、ちびたちの中で一等精神が幼いのだ。

「チョーカーをまた勝手に取ったね。大きくなるのはいいけど、小さい時のままの勢いで来るのは止めてよ。そろそろ本当に潰れるから」
「ごめん。でも師匠が」
「はいはい。文句は一緒に帰ってからね」

手を伸ばし頭を撫でる。
少しだけ緩まった腕の力に、内心でほっと、息を吐いた。
もぞもぞを体を動かし向きを変える。辺りを見回せば、生暖かい視線が四方から向けられているのに気づいて、何とも言えない気持ちになった。

「もう会えないかもしれないって怖かった。師匠がまたねって言ってくれないから、皆怖くて泣いてた」
「うん。ごめんね。色々と余裕がなかったんだよ。これからはちゃんと言うから」

また明日、と笑う友を目の前で失ったこの子には、ちゃんと言葉にしなくては不安がらせてしまうと分かっていたのに。ようやく手を離し笑ってまた、を言えるようになったのに。
自分の事ばかりで周りが見えていなかった事を痛感してごめん、と改めて言葉にする。

「一緒に帰ろう。そのためにも早く終わらせないと」

離れない彼の背を軽く叩いて離すように訴える。
名残惜しげにしながらも離れていく彼に笑いかけて、手を差し出した。

「じゃあ、行こうか。嵐がいるならすぐに帰れるね」
「師匠は必ず俺が守る。絶対に連れていかせはしないから」

差し出した手を離れないようにと強く繋いで、彼は真剣な目で告げる。
それに笑い返して、もう一度周りを見渡した。

「時間を取らせちゃったね。行こうか」

それぞれが頷くのを見て、同じように頷き母屋へと足を踏み入れた。



20241114 『また会いましょう』

11/15/2024, 12:08:15 AM