望月

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《さよならを言う前に》

 人々の罵る声がする。
「……せ! あの悪女を殺せ!」
 何をしたのか。
 何故そんなふうに叫ばれるのか。
 全くわからない、わけではない。
「早く!」
 急くように死を望まれるのは、無知だったから。
「殺せ!」
 いや、悪政を見て見ぬふりをしていたから。
「悪女を!」
 殿下を誑かしてしまった、からだろうか。
 冷たい石畳の上を裸足で歩いたことはなかった。
 その凍えるような痛みを初めて知った。
 あたたかな街の人々が、これ程冷たく残酷な目で悲鳴をあげることができたとは知らなかった。
「悪女に制裁を!」
 それでも石を投げるのは一部の人だけで、良心が感じられて可笑しかった。
 こんなときでも、心優しい人達なのか。
 そんな人達を苦しめてしまっていたのか。
「殺せ!」
 謝罪は口にしない。
 それで良心が痛む人が、きっと、いると思うから。
 せめてと、小さく口の中で別れを告げる。
「……さような」
「——その前に、貴女には言うべき言葉があるわ」
 断頭台の前に立つ彼女は。
 まさか。
「……マー、ガレット?」
「ええ、貴女のマーガレットよ。侯爵令嬢たる貴女がここで何をしているのかしら?」
「なにって、わたくし、は……」
 気が付けば周囲は彼女の家の紋章を掲げた兵らによって、空けられていた。
 無理もない。
 この場を仕切っていたのは侯爵家で、彼女は公爵令嬢。階級で勝るマーガレットが多少無理を通しても、誰も止められやしないのだ。
 あのマーガレットなのだから。
「ねぇ、今、なにをしてほしいか言ってごらんなさいよ。大切な友人として聞いてあげるから」
「……なら、そこを退いてちょうだい。わたくしは裁かれるべきなの、だから、兵も退かせて」
「あら……残念だわ、アン。私に聞けないお願いをするだなんて」
 くすくすと笑ったマーガレットは、そっとアンの手を取った。
 そして、
「さあ、なにを言っても周りには聞こえないわよ」
「……マーガレット」
「私、貴女が泣くのを許せないのよ」
「……けて」
「アン、私に願って」
「……たす、けて……!」
「そうよね。アン、行きましょう?」
 二人で立ち上がって、断頭台から背を向けて歩き出す。
 不思議と、心はあたたまった。
 責任から逃れる苦しさに目を瞑って。
 閉じ込めていた、理不尽だと嘆く自分に手を差し出して。
 そうして、足は動くのだ。
「……それでは皆様、ごきげんよう」
「さよなら」
 公爵令嬢による誘拐は真昼に行われたにも関わらず——誰の記憶にも留まらずして世界に溶けた。
 マーガレットは、魔女である。

8/21/2024, 10:48:26 AM