#楽園
日に三度の食事、洗濯された清潔な着替え、雨漏りのしない、乾いたシーツの敷かれた寝床。
まるで楽園ですよ、とその青年は屈託のない、どこかあどけなさすら残した笑顔で男に語った。
「……だから、控訴する気はないと?」
厚いアクリル板越し、耳に当てた受話器を通じて、男は確認する。同じように受話器を耳に当てた青年は、あっさりと肯いた。
「まあ、君がそう言うなら……」
男は呟く。
弁護士としては、もう少し粘れると思っていた。青年の生まれ育った劣悪な環境――名前も分からぬ父親、ドラッグ中毒だった母親、学校にも通えず、幼い頃から万引きを繰り返して生き延びてきた。やがて母親が野垂れ死ぬと、彼女の遺したツケを払えと売人たちは青年に迫った。そんな売人たちのうちのひとりを、青年は拾った銃で射殺したのだった。あともう少し、陪審員たちの同情を引くことができたなら、多少の減刑はのぞめたのではないか。しかし、青年は悪びれることなく、堂々としていた。表向きの反省の色を示すことすらなかった。だから、陪審員の心象も良くなかったのだ。
「ひとりで十年」
青年は独り言のように言う。
「ふたりだと、何年くらいになりますかね?」
「…………」
青年にとって、売人の命など楽園へのチケットに過ぎないのだろう。
青年はにこにこしている。男が初めて出会ったときよりも、むしろ今のほうが血色は良い。彼の言うとおり、彼にとってこの刑務所は楽園なのだ――。
男は何か言いかけて、そして辞めた。
迂闊なことを言えば、男の命も楽園行きのチケットに替えられてしまうだろうから。
4/30/2023, 11:23:04 AM