バイバイ
本日の前説、私は徒然なる時に気ままに心にうつりゆくことを書きなぐる旅の途中の旅人です。まだ、ここに来て日も浅いです。ただの旅人はペンの変わりに近頃流行りの不得手なスマホの画面を叩きますが、ただの書き手くらいの者です。自分の書き綴るものを作品と呼んだり、自分を物書きやら作家やら筆者やら表現することに照れを感じずにはいられない人間で、そんなことを言える人を幸せな人だと思う人間であります。人間は、実に愚かしくなる生きものであるかと考えます。祖母が親を亡くした孫に泣くのは、およしと言う変わりに、「お前は愛されて育った子だよ」と励ます言葉と、親の不徳で不遇の現状に置かれる子にかける言葉とは同じではなく、行間とその関係性を読み取り臨機応変に変えることくらいも分からぬ阿呆を作ってしまいます。昔の人は偉かったね、そこをきちんと行間読んで理解できたし弁えた、10代半ばにもなれば。
今は動物愛護だなんだと言って、虐待を受けて育った犬猫が人間嫌いになって、人間に牙を剥くのは可哀想と思えるけれど、父親や母親がコロコロ変わってしまうような環境で、早くから他人の大人の中で不遇を、時には暴力を受けながら育ち人間不信の人間嫌いになった子には、危険分子の変な子のレッテルを貼る。犬猫も人間と同じじゃないのか?毒親ってレッテルもついでに貼るの好きなくせに、毒親だって子供だったろうにきっと、あなたやわたしと同じ不用意に傷つく幼気な子供であったはずなのに。人間生まれながらに悪魔なんてそうそうなれないし、それにはそれなりの理由がある。
案外悪い奴のレッテル貼るのが好きなそいつも父親も母親もコロコロ変わる大差ない環境に居ながら、たまたま運よく生きてこられただけのことに気づけずに、さらに立場の弱い物を叩いて喜ぶ苛めっ子気質なのか?
感謝出来ずに批判と捉える歪みが生じ現状に不満ばかりの怨み節なのか。
「お前とあの子は環境が違うんだよ、だからお前はもっと強くならなきゃいけない」と捉えるところを、「あの子は、変だ危険だ危ない、触っちゃ駄目だ」「怨んでいるに違いない」となる。それ、心のかたちが全然違うのか?たまたま運良く運悪く生まれ落ちた環境が違うだけの同じ命じゃないのか?
やっぱり、今時、風の音で目を覚ますような寂しい環境に身を置いていると、心がさもしくて悴んでしまうのだろうか… お気の毒なことだ。
「バイバイ」
淋しい女 きっと色々有ったんだろう
風の強い 夜更けの迷子なら過去(きのう)忘れて 未来(あした)も忘れて
心の 思うままに生きればいい
それが 切なかろうと哀しかろうと
若くはないけど 年寄りでもないから
諦めるに諦め切れなくて妬む
そう 誰かが言ってたけど 油を舐める
何かが始まる 風の強い夜更け
無口な女 それが良いと思ってます
絵になるような 夜更けの独りモデル
微笑み抱いて 憂いも抱いて
独り自分で自分の肩抱いたまま
それが 束の間だって永遠だって
関係ないけど 自惚れ上手の成れの果て
諦めるに諦め切れなくて妬む
そう 噂を聞いたけど 月に祈る
何かが始まる 風が窓を叩く夜更け
バイバイ ありがとう さようなら
令和7年2月1日
心幸
2/1/2025, 11:03:16 AM