「土呂井。お前いいもん持ってんなあ」
放課後の教室。
土呂井は、クラスのボス猿・オー坊と
彼の子分・康勝に囲まれ怯えていた。
二人が指差すのは、土呂井が腕につけた時計。
先日お小遣いを貯めてやっと手に入れたものだ。
「ちょっと貸してくれよ。なあ、いいだろ?」
「でも……」
「あ?文句あんのか、トロイのくせに」
いつものことだ。断ればもっと酷い目にあう。
土呂井が唇を噛み締め、目を瞑っていると、教室のドアが開き、クラスメイトの清星が入ってきた。土呂井たちには目もくれず、無言で自分の席へ向かう。
「おい、清星」
オー坊が声をかけると、清星はちらりと視線を向けた。冷たく澄んだ瞳に、オー坊は一瞬怯んだ。
「何だよ」
「お前からもこいつに何か言ってくれよ」
オー坊はそう言って、清星に擦り寄ろうとする。だが清星は何も言わず、ただ真っ直ぐオー坊を見つめた。その眼差しに、オー坊は居心地悪そうに身を引いた。
「ふん、別にいいけどよ」
捨て台詞を吐いて、オー坊と康勝は教室を
出ていった。嵐が去った後のように、
土呂井は安堵のため息をつく。
「あ、ありがとう……」
土呂井が礼を言うと、清星は「別に」とだけ返し、
再び背を向けた。
――
瞼を開くと、教室の天井があった。
腕の時計は4時44分を指している。
確か、家のベッドで寝ていたはずなのに。
「おい、起きたか」
声のする方を見ると、オー坊がいた。
いつもの高圧的な態度ではなく、どこか不安そうだ。
「オレも……気がついたらここにいた」
教壇の康勝が呟く。そして教室の後ろでは、
清星が窓の外を見つめていた。
「外、見てみろよ」
清星の言葉に従って窓の外を覗くと、
校庭は真っ暗で何も見えない。
街灯も、向かいのマンションの明かりも、
何もかもが消えていた。
突如、校内スピーカーから音声が流れた。
アニメキャラのような甲高く、奇妙に歪んだ声。
『こんばんは!突然ですが、今から君たちにはゲームをしてもらいます♪校内から出ることができたら君たちの勝ち。出られなかったら……まあ頑張って!』
四人は顔を見合わせた。
何が起こっているのか誰にも理解できない。
「出口を探そう」
清星が先頭に立って歩き出す。
土呂井たちも、それに続くほかなかった。
――
廊下は薄暗く、非常灯だけが不気味に光っている。
一階の昇降口に着くと、
扉には頑丈な鎖がかけられていた。
「クソ、開かねえ」
オー坊が力任せに引っ張るが、びくともしない。
他の出入り口も試したが、
どこも同様に封鎖されている状態だ。
「屋上だ」清星が言った。
「屋上なら外に出られるかもしれない」
階段を上がり始めた時、
四人の足音とは違う音が聞こえてきた。
ぺたぺた、ぺたぺた。
濡れた足で歩くような音。
振り返ると、廊下の向こうから何かが
こちらに向かってくるのが見えた。
赤い服を着た女性。長い黒髪で顔は見えない。
「あ、あれ……テレビで見た……」
夏のホラー番組に出てきた、女の幽霊だ。
女は徐々にこちらへ近付いてくる。
「走れ!」
オー坊の叫び声に、四人は階段を駆け上がった。
「大丈夫か?」
「はあ、はあ、うん……」
息を切らす土呂井に、清星が声をかける。
体力のない彼にとって、階段はつらいものだった。
息を整えた土呂井が周囲を見回すと、
オー坊と康勝の姿がない。
「先に行ったみたいだ。俺たちも急ごう」
清星の言葉に土呂井は頷いた。
――
「オー坊~?オー坊や、どこにいるんだい?」
廊下の向こうから現れたのは、恰幅の良い中年女性。手には大きな物差しが握られている。
「か、母ちゃん?なんでここに……」
「オー坊!本当にあんたって子は!
こんな所で馬鹿やって……あたしはそんな子に
育てた覚えはっ!ないんだよっ!」
ドスドスと音を立て近づいてくる母親に、
オー坊は恐れ慄き後ずさる。
いつもの横暴さは微塵もない。
康勝もまた、震えていた。
天井からゆらゆらと降りてくる黒い影。
よく見るとそれは、巨大な蜘蛛だった。八本の足を
うねうねと動かして、康勝を見下ろしている。
「い、いやだ……蜘蛛は嫌だ……」
――
土呂井と清星が三階の踊り場に着いた時、
彼らの足が止まった。
そこには一人の男性が立っていた。
「久しぶりだな」
「あんた……どうして……」
「そんなに虚勢張るなって。
また風呂場で一緒に遊ぶか?ん?」
清星の全身から血の気が引く。
土呂井は、いつもクールな彼が
こんなにも怯えている姿を初めて見た。
「やめろ!」
土呂井が叫ぶ。
「清星くん、それは本物じゃない!偽物だ!」
清星が驚き、土呂井を見る。一瞬の隙をついて、
土呂井は清星の手を掴んだ。
「走ろう、二人で!」
土呂井は清星の手を引いて階段を駆け上がる。
どこかでオー坊と康勝の悲鳴のようなものが響いたが、二人は振り返らなかった。
屋上のドアは開いていた。
扉の向こう側には、
出口への道筋を示すように小さな光が見える。
二人は光に向かって走った。
出口に近づいた時、
どこからともなくあの甲高い声がした。
『またね』
――
土呂井は汗だくで目を覚ました。
布団の中で、心臓がまだ激しく鼓動している。
学校に行くと、担任の先生が深刻な顔で話し始めた。
「昨夜、オー坊と康勝が……自宅で亡くなった」
教室がざわめく。
死因は就寝中の心不全、それもほぼ同じ時刻に。
逃げ遅れたオー坊と康勝が死んだ。
じゃあ、あれは夢ではなかった――?
放課後、土呂井と清星は二人で屋上にいた。
「あの時は、ありがとう」清星が呟く。
「ううん。僕の方こそ」
風が吹いて、校庭の旗が揺れる。
「最後さ……またね、って聞こえたよね」
「ああ」
「また、あれが夢に出てくるのかな」
「……わからない」
次があれば、生き残った二人も
今度こそ悪夢の中に引きずり込むかもしれない。
けれど、土呂井は以前の臆病なままではない。
自分の手で誰かを守れた。
だから、またあれがやって来たとしても、
きっと乗り越えられるはず。
――そう信じて。
お題「またね」
8/6/2025, 10:45:05 PM