傘の中の秘密
雨は好きだ。
他の人は気が滅入るだとか、髪が崩れるだとか、単純に濡れるのが嫌だとか、嫌なことばかり言っていたけれど。僕は雨の気怠さだとか、家の中や傘の中で聴く音だとか、いつもと変わって見える風景だとか、そういうところが好きなのだ。
でもやっぱり、一番は。
カンッカンッカンッと軽やかに、鉄板を叩く音。そして、少し重いタンッタンッと鳴る雨粒。耳を澄ますと、ピチャピチャと水音。ガチャガチャと鳴るいろんな音が、僕を包んでいる。
最後の段を滑らないように蹴り、一番上に躍り出る。
最高に気分が良くて、鼻唄がでる。歌詞はうろ覚えで、絶対に合っていない自信がある。なんならメロディも怪しい。テレビで聞いた曲で、題名すら覚えていなかった。
──まぁ楽しければなんでもいいか。
経年劣化で緩んだフェンスを飛び越え、そこからはみ出しているへりに腰掛ける。足をぶらぶらさせながら、下を見る。
上から見ると、なんというか、モザイクタイルを思い出す。けれど、傘をさす人はたくさんいて、色も大きさも千差万別。モザイクタイルとは似ても似つかない。
──ガチャガチャ。音と一緒だ。
──黒くて大きな傘は社会人。可愛らしい小さな傘は子供。ビニール傘やさしていない人は傘を忘れたのだろう。目立つ色は傘を無くしたことがある人。おしゃれなやつは大抵女性らしい人。
びちゃびちゃになりながら空想を続ける。
服や髪が肌に張り付く。気圧のせいか、寒さのせいか、身体は重く、頭は痛みを訴えていた。だがそれも、楽しさの前では些細なこと。
先ほどのいい加減な鼻唄は、打って変わって綺麗なメロディを奏でいた。不意に、この唄の歌手は結婚したことを思い出す。唄いながら体を揺らすと滑りそうな気もしたが、身体が重いからか、落ちるような不安はなかった。
ふと、黒色が目に入る。それはゴチャゴチャとした色の傘の中で、一際目立って見えた。しかし、どう見ても他と同じ色。どうも違和感を覚え、すぐさま頭の中の引き出しを開け放つ。引き出しに放り込んだ物を、新しいものから順に見ていく。幸いにも探し物はすぐ見つかった。
──そうだ、最近事件に巻き込んできた奴だ。
丁度今日のような雨の日。僕は常に手ぶらだから、見かねた彼が傘を貸してくれたのだ。自分は折り畳み傘があるからと。
目下の彼は、急足で人の合間を縫っていく。よぉく目を凝らすと、暖色のキャリーケースをほんとど持つように引き摺っている様子が伺えた。ここで疑問を覚える。
──彼、ほとんどの持ち物がモノクロだったはず。
──飲食のバイトと大学の講義で忙しいと言っていた。
──徒歩。しかし駅もバス停も遠い。
まだ確定ではない。しかし、己の勘は告げていた。何かあるぞ、と。それから、
──なんだか面白そうだ。
面白いことに関する、己の勘が外れたことはない。
さて彼は一体どんな秘密をキャリーケースに仕舞っているのか。ワクワクしながら、今度はへりから向こうへとフェンスを飛び越えた。
6/2/2025, 2:24:58 PM