悪意はそっと伝えたい。
胸の辺りに溜まった、ふつふつと煮えるあれやこれやをそっと押さえ込みながら、鉛筆を持つ。
ピシリと四隅まで真っ白な紙を、眺めながら考える。
30分も遅刻したあの人に相応しい言葉はなんだろう。
「時計も読めないのか」では不十分。
もっと、洒落てて、強烈で、それでいて、あんな奴には分からないくらい高尚な、皮肉を。
紙に軽く線を引いてみて、考える。
責任を放棄することばかり考えて、イベントの企画も、遊びの企画も、雑事すらしてくれない、どうしようもない逃げ腰のアイツは、なんで呼ぶべきだろう。
「甘い蜜を吸いやがって」じゃ、この苛立ちの全ては言い表せていない気がする。
白い紙にとりあえず、苛立ちの原因を、自分の感情を、思いつくままに書きつけてみる。
殴り書きのお世辞とも丁寧とはいえない、自分の字が並ぶ。
この煮詰まった悪意を丁寧にほどいて、美しく形を整えて、そっと伝える悪意にする。
ユーモアと悪意に溢れた言葉を紡ぐ。
そのうちにきっと、この苛立ちもやるせなさも、落ち着いてくる。
自分に悪感情しか呼び起こさなかったこの胸の沸々も、大切にできるようになるだろう。
私は紙を眺めて、頭の中で言葉をこねくり回す。
苛立ちに染まった自分の言葉が、背中を押してくれる。
日常で感じた嫌悪や苛立ちから生じた悪意を、丁寧に、そっと伝えようとし始めてから、一年が経つ。
この一年で、ずいぶん怒鳴ることが減った。
悪意をそっと伝えるために、自分の感じた悪意や苛立ちを、ゆっくりと分析し、脳内でこねくり回す。
その間に、怒りはぬるま湯くらいの勢いしかなくなる。
そうすれば、勢いで怒鳴ることもない。
口答えによる言い争いで、元気とやる気を削がれることもない。
体力は温存できるし、語彙も増える。
なにより、奴らを奴らには分からないくらいの言葉でこき下ろすのは、とても爽快だ。
罵倒ではない罵倒なら、同じ土俵に下りるまでもなく、こき下ろせるのだから。
だから私は、悪意はそっと伝えたい。
自分の苛立ちを、完全なる勝利という形で発散するために。
奴らのために体力を使わないために。
自分の語彙を磨くために。
自分の苛立ちを、感じ方を大切にするために。
私は今日も、悪意を丁寧に、そっと伝える。
遅刻魔のアイツは、「重役出勤」を弄ってみようか。
自分勝手な逃げ腰のアイツは、ゲームの世界でなら、戦闘回避用のアイテムをカンストまで買い込んでいるのかも。
なんだか楽しくなってくる。
鼻歌を歌いながら、検索を立ち上げる。
私は、悪意こそ、そっと丁寧に伝えたい。
2/13/2025, 10:54:51 PM