初音くろ

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今日のテーマ
《初恋の日》





公園のブランコには誰も乗っていなかった。
風が強かったからかもしれないし、今にも雨が降りそうな曇り空だったからかもしれない。

「寄り道しないで帰るんだぞ!」

帰り際の先生の注意が頭に浮かぶ。
まわりをキョロキョロ見回して、誰もいないのを確認して、ぼくは猫みたいに素早く公園に入った。

ちょっとだけ、ほんの5分くらいだけだから。
そのくらいなら大丈夫だよね。
コンビニで買い食いしたりするわけじゃないし。

心の中で言い訳しながらランドセルを放り出してブランコに飛び乗る。
そして、座面を踏みしめ、立ったままで力いっぱい漕ぎ出す。
小さい子がいたら真似したら危ないし、上級生がいたら生意気だって睨まれる。
でも、今この公園には誰もいない。
こんなチャンスは滅多にない。
だから誰かが来る前にちょっとだけ、思いきり、念願の立ち漕ぎをしてみたかった。

座って漕ぐよりずっと勢いがつく。
漕ぐたびに、高く、スピードも出てきて、段々こわくなってきた。
そろそろ止めようと思うのに、ブランコの勢いはなかなか止まらない。
座って漕いでる時なら、地面に足を着ければブレーキがかかってくれる。
でも立ち漕ぎの今は、当然のことながら、足ブレーキは使えない。

どうすれば止まる?
早く止めなきゃ。
このまま止まらなかったらどうしよう。
降りられなかったらどうしよう。

不安と恐怖で握り締めていた手が緩み、ぼくはそのままブランコから落っこちた。
幾らか勢いは減ってたから遠くに投げ出されることはなかったけど、むき出しの膝を思いきりすりむいて血が出てくる。

「……っ、うわーーーーーん」

痛さと、恐怖と――降りられた安堵と。
いろんな感情がグチャグチャに込み上げて、ぼくは幼稚園児みたいにわんわん泣いた。
そんな時だ。

「大丈夫!?」

誰もいないと思っていたのに、突然女の人の声がした。
たまたま公園の側を通ったのだろう。
セーラー服のお姉さんが慌てたように駆けてくる。

「うわ、痛そう……ブランコから落ちちゃったの? 怪我は? 膝すりむいただけ? 頭とかぶつけてない?」

服についた砂埃を軽く払いながら、お姉さんはぼくの怪我を確認していく。
ぼくは恥ずかしさと居たたまれなさでろくに返事もできないまま、ヒックヒックとしゃくり上げつつ頷いたり首を振ったりしてお姉さんの質問に答える。
怪我らしい怪我は血の滲む膝だけだとわかり、お姉さんはほっとしたようにため息をついた。

「立てる? 歩ける?」
「うん……」
「じゃあ、ちょっとベンチまで行こうか。はい、ここに座って」

お姉さんに手を引かれ、すぐ近くのベンチまで連れて行かれる。
歩くと痛くてたまらなかったけど、それを言ったら抱っこされそうな雰囲気があった。
お姉さんの身長の方がぼくより少し高かったけど、だからって女の子に抱っこして運ばれるなんて小っちゃい子みたいに泣いてるのを見られるよりもっと恥ずかしい。
それくらいなら痛いのを我慢した方がよっぽどましだ。

お姉さんは「ちょっと待っててね」と言うと、そのまま水道の方に走って行ってしまった。
少ししてまた走って戻って来たお姉さんの手にはびしょびしょに濡れたハンカチがある。

「本当は直接洗った方がいいんだと思うけど……ちょっと沁みるかもだけど我慢してね」
「……っ」

濡れたハンカチで傷口を拭われ、痛さのあまり引っ込んでいた涙がまた出てきたけど、今度は歯を食い縛ってみっともなくわんわん泣くのは我慢した。
えらいね、頑張ったね、と言いながら、お姉さんは傷口に絆創膏を貼ってくれた。

「とりあえずの応急処置だから、お家に帰ったらちゃんと手当てしてね」
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして。でも、今度からは寄り道しないでまっすぐ帰らなきゃだめだよ」
「はい……ごめんなさい……」

しゅんとしながら謝るぼくの頭をお姉さんがくすくす笑いながら撫でてくれる。
その手の感触は、お母さんのものとも、クラスの女子のものとも違ってて。
ふわんと何だかいい匂いもして。
盗み見るようにちらりと目を上げた先、その柔らかな笑顔にぼくの心臓は全力疾走した後みたいにうるさくがなり始めた。

今にも雨が降り出しそうな放課後の公園で、その日、ぼくは生まれて初めての恋をした。





5/7/2023, 4:22:56 PM