viola

Open App

『安らかな瞳』

キミは身体を横たえたまま、穏やかに此方へと微笑んだ。
その表情があんまりにも優しくて温かくて、ボクはどうしようもなくなってしまうんだ。

_キミとの出逢いはあの日。陽が傾くのが幾分か早くなった頃の夕。辺り一面いっぱいに赫赫に埋め尽くされ翳が伸び、まるでこの世のものとは思えぬ世界に独り通学鞄を持ち竦むキミ。近くの中学に通い友人は居らず、家に帰る時刻はいつも二十二時を越えるキミは家でも上手くいっていないようで楽しみはこの道の先にある橋下にいる子猫の世話なのだと知ってはいたが初めて声を掛けた。昂る気持ちを宥め努めて紳士に声を掛けたつもりが、存外震えていて、そんな自分をその大きな黒曜石は見詰め、鈴の転がすような涼やかな声音でこう言ったんだ。

「ころして」

嗚呼、聡いキミはボクが何者なのか、すぐにわかったんだ。何も言わずともわかってくれたんだ。
それからボクはにたりと嗤い、キミを不幸から連れ出した。キミの読みたい本を好きなだけ読み、キミの好きなジュースとアイスを食事の後に必ず食べ、夜にはふかふかの暖かい布団で寝る。いつしかキミは笑顔を絶やさぬ少女になった。
キミを幸せの下に連れ出せたのだ。
ひとりの少女を救った、それは自身の心さえ梳く思いで。これまでの自分の人生がいいもののように思えて嬉しかった。
幸福だった。
そばにいたい離れたくない。
悪い夢を見た時其処にキミが居れば、安堵する。
鬱々蝕まれる時キミが話を聞いてくれると、優しくなれる。
キミが笑ってなを呼んでくれると、まだ生きていたいと思える。
いなくてはならない存在なのだ。
そしてそれは多分、キミにとっても同じで。
最近少しずつ近づくキョリにどぎまぎしつつも、キミはボクのベッドにそっと忍び込む。ギシリと軋むスプリングの音が不快ではなく、むしろ心地良さすら覚え、思わずキミの方を振り返る。キミも此方を向き微笑む。呼気が上がる。微かに手が当たり心臓が跳ねた。きっと顔も赤くなっているだろう暗闇なのがせめてもの救いだが、バレていないかどうかわからない。暗いのに、それでもキミの艶めいた唇が開いたのをありありと感じ、その声を待つ時間が永遠に思えた。
キミは言う。

「ありがとう。あなたがとってもだいすきよ」

そう言ってキミは身体を横たえたまま、穏やかに此方へと微笑んだ。その瞳は安らかな色を湛え、ボクは無意識に雫をこぼす。幸せだ。



遠くの方で鳴っていたサイレンは、
          気付けば自身の背後で鳴り響いた。

3/14/2023, 2:22:29 PM