sairo

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窓辺に座り、空を見上げる。
久しぶりの雲一つない快晴。空の向こう、遠くに飛ぶ鳥の影を見つけ、目を細めた。

あの鳥のように、空を飛べたのならば。
そんな意味のない夢物語を考える。
そうすればすべてから逃げられるだろうか。家族からも、過去からも、逃げて忘れられるのか。
馬鹿馬鹿しいと苦笑する。逃げた所でどこへ行くのか。そもそも逃げたいとも思っていないくせに。

どうしたの?
あまり外を見てはいけないわ。こちらにいらっしゃい。

部屋に施された術によって形を持った影達が手を引いた。
もう少しだけとも思うが、影達を不安がらせては彼を呼ばれてしまいかねない。手を引かれるままに窓から離れ、ベッドへと戻される。

過保護だな、とぼんやり思う。いくら外に惹かれても、私一人では外には出られないというのに。
いつもより長い病院生活の後、退院先は自宅ではなく住職の住むこの屋敷の見慣れた一室だった。両親は、特に父はよほど住職の事を信頼しているらしい。仕事で家を空ける事が多いのも、その理由の一つではあるのだろう。発作や普段とは違う何かが起きる度両親に連れられ預けられて、最近では家にいるよりも長くこの部屋にいる気もする。

無理をするものではないわ。休む事も大切よ。
大丈夫。眠っている間はずっと手を繋いでいてあげるからね。

「まだ眠くはないよ」

太陽は高く、夜は遠い。それに少し前に起きたばかりだと伝えれば、影達は納得したように頷いた。
それならばと、サイドテーブルを引き寄せてお茶の用意をし始めるその様子に、やはり過保護だなと笑った。



小腹が満たされれば、眠気は訪れるものらしい。
うとうととする意識の中。窓から見える空を、高く飛ぶ鳥を思い描く。
鳥のように空を飛べたら。空を飛んで私はどこへ行きたいのだろう。
誰も私を知らない遠くの場所か。見た事もない世界か。
それとも時間さえも飛び越えて、あの日の皆に会いに行きたいのか。

眠いの?
夕餉まではまだ時間もあるし、眠ってしまいなさいな。

優しく頭を撫でられて、さらに意識が遠くなる。
少しだけ眠ってしまおうか、と。思う端から意識が途切れて落ちた。



懐かしい夕暮れ時の夢を見た。
あの子と二人きり。他の皆はすでに戻っているのだろう。
膝を抱えて泣きじゃくる彼女の背中をさすり、落ち着くまでただ待ち続ける。

泣き虫な子だった。臆病で独りを怖がるような。それでいて一度決めた事は何があっても貫き通す強さを持ち、自分自身よりも誰かを優先する心の優しい子。
そうだ。別れを悲しんで、皆が傷つく事に怯えて泣くこの子をいつも慰めていたのは、私だったはずなのに。

「ごめんなさい。ごめんなさいっ」

泣きながら誤り続ける彼女に何を言えばいいのだろう。触れている背中は冷たく、凍えてしまいそうだ。

「隠していてごめんなさい。弱くて悪い子でごめんなさい。置いていかないで。ちゃんといい子にするから。もっと強くなるから。だから置いていかないで」

また怪我をして、それを隠しでもしていたのか。この子はいつもそうだ。隠して、一人傷ついて。
皆の怒りは心配から来るものだという事に、この子はずっと気づけなかった。
怪我の程度を見ようかと、背中から手を離して腕に触れる。やはりとても冷えている、と触れた腕を引き。

ぐにゃり、とした感触に、思わず掴んだ手を離した。

「ごめんなさい」

いつの間にか泣き止んでいた彼女がゆらり、と立ち上がる。逆行のせいか、顔が見えない。

「欠片でも覚えていてくれて、ありがとう。でも忘れていて。誰も思い出さなくていい」

黒い影となって見えないはずの顔が、笑っているように見えた。

「行って。皆の所へ。夕暮れは、ここに全部置いていってね」

何を言っているのだろう。置いていかないでと泣いていたのは、この子の方なのに。

引き留めるために手を伸ばす。けれどもそれを避ける様に、後ろに下がる彼女には届かない。
待って、と言いかけ、続く言葉を無くして怖くなった。

この子の名が思い出せない。
顔が、姿が。聞いていたはずの声ですら、夕暮れに解けて消えていく。


また一人ぼっちにしてしまうのか。

精一杯の強がりで笑う彼女に、どうして、と呟いた。



気づけば夕暮れ時。

オレンジ色に染まる空に惹かれ、ベッドから出て窓に近寄った。
カラスの鳴く声が聞こえる。遠くの空に鳥の飛ぶ姿を見つけ、目を細める。

懐かしい夢を見た気がする。
同じような夕暮れの空の下で。カラスの声を聞きながら、帰らなければと思っていたような。

手を繋いで、一緒に。

それは形代の誰かだったのか。それとも影達なのか。
夢の内容は酷く曖昧だ。

おはよう。よく眠っていたね。
そろそろ夕餉の時間よ。準備をしましょうね。

声に頷いて、窓から離れる。
一度だけ振り返り、見えなくなった鳥の影を探す。

鳥のように空を飛べたのならば、会いに行けるのに。
そうぼんやりと思い、まだ夢うつつにいる事に苦笑した。



20240822 『鳥のように』

8/22/2024, 2:55:49 PM