池上さゆり

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 子どもが好きで、子どもと接する仕事をしたくて保育士に就いた。毎日子どもの面倒を見ているうちに、いつしか自分の子どもを育てたいという願望が芽生えた。
 保育士としてある程度経験を積んだところで、長年恋人だった彼と結婚をした。彼も子どもが好きで子だくさんな家庭がいいと何度も話していた。
 その期待通り、結婚してから間もなくして子どもに恵まれた。旦那のサポートや職場の理解もあって、無事に子どもを産むことができた。人生の中で一番幸せな瞬間だったかもしれない。
 環境に恵まれたおかげで子育てにそこまで苦労しなかった。
 目の前で子どもが成長していく様子を見ていくのは楽しかった。保育士である時間では立ち会うことのできない成長の瞬間をたくさん見届けた。無邪気な顔をしてママと呼ばれるのが、どれだけ愛おしかったか。
 だけど、そんな時間は長く続かなかった。中学生になる頃にはママともお母さんとも呼ばれることはなくなった。喧嘩が増えてクソババァと言われる度に心が耐えきれなくて泣き崩れた。どうして、前までそんなこと言う子じゃなかったのに。自分の子育てが失敗したんじゃないかと思ったけど、どこで間違えたのかもわからない。この頃から生まれたモヤモヤの正体が分からなくて苦しい時間が続いた。
 一度できた溝はなかなか埋めることができなくて、ろくに会話をしないまま数年経った。成人式に親として見届けに参加した。目の前で多くの友人と今までの思い出話や、恋人とのこと、将来のことで盛り上がっているのを見て吐き気がした。
「お母さん、ここまで育てくれてありがとう。なかなか素直になれなくてごめんね」
 もう、目の前に立っているのは私がいないと生きていけない子どもじゃなかった。もう、自立して一人で生活できるだけの力を持った大人だった。
「お母さん泣かないでよ」
 旦那と子どもに背中を撫でられて、今までのモヤモヤがなんだったのかがわかった。
 私、自分の子どもに成長なんてしてほしくなかったのだ。ずっと、私の手を借りて生きる、なにもできない子どものままでいて欲しかったのだと。

5/12/2023, 10:43:14 AM