「待ってください、王子!」
古の記憶。
この身が怪物の手に侵される前の、朧気な記憶。
質の良い布を纏っていることを忘れてはしゃぐ少年に、手を焼いていた覚えがある。
「早く来て、⬛︎⬛︎⬛︎!こっちに綺麗な泉があるんだ!」
息を切らす従者など目もくれず、楽しげに草原を走るかつての主の背中は、少しだけ懐かしい。
夢心地のようにふわふわとした世界。明るい青色とも橙色とも取れるような不安定な空の下で、王子ははしゃいでいた。
その時、かの主が立ち止まった。
風のそよそよと吹く音が耳を掠める。足元に生える毛の短い芝生の絨毯は、風につられてふよふよと動いている。
こちらを見た。思い出と同じ、鳶色の瞳の少年。
「……今度は一緒にいてあげてね、⬛︎⬛︎⬛︎。」
不意に主がこぼした言葉を拾おうと、僕は思わず手を伸ばした。
異形と化した左手が、かの背中を追い求めて止まらない。
……掌に温もりがある。
傍らで気絶したように眠るのは、かの王子とそっくりの容姿をした僕の片割れだ。
思えば、先の戦いの場所は、あの王子が教えてくれた泉であった…
僕は目の前の片割れの頬を撫で、思いを馳せた。
この左手は、あの時から何ら変わっていなかった。
《時を繋ぐ糸》
11/27/2025, 6:55:31 AM