猫宮さと

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《蝶よ花よ》

あの少女を闇に魅入られし者として監視を始めてから、それなりの期間が経った。
そこで、彼女の人物像を整理してみようとその行動を呼び起こしてみる。

普段は、主に読書をしている。内容は過去の帝国の記録から、他国の叙事詩や伝説、果ては図鑑や幻想物語、絵本まで多岐に渡る。
基本的に好きだから読んでいるのだろうが、それなりに教育を受けてはいると推察される。

僕の執務が一段落している時などは、歌を口ずさんだりもしている。
美しいが、聞いたこともないメロディに全く知識にない言語の物もあった。どこの歌なのか聞いても、はぐらかされてしまう。

話すことも好きなようで、話しかけると笑顔で受け答えをする。
時折出てくる何気ない話題も、交わしていて心が休まる事が多い。微笑みを絶やさずにいるのも大きいだろう。

ここまでの印象ならば、多少の疑問はあれど彼女は蝶よ花よと大事に育てられたかにも感じられる。

しかし、だ。

飼い主以外に心を開いていない余所の猫に対し、爪を立てられても変わらず愛情を示し、抱き止めようとさえする。
集団でいじめを行う女性達に、味方もいない単独の状態で正論を堂々と言い返す。
あまつさえ、彼女を使い僕を脅そうとした相手を、自分を餌に取り押さえようと言い出し作戦を立て、実行してしまう。

このような、時折垣間見せる突拍子も無い行動に度肝を抜かれる事もあった。
この一連の出来事で、彼女への蝶よ花よの印象は完全に霧散…いや、四散した。
何と言うか、自分の身を顧みない無茶をするタイプのようだ。見ていて非常に危なっかしい。

そんな人だが、彼女の口癖は「すみません」「ごめんなさい」だ。
ほんの少しの事を頼む時ですら、この口癖が出るくらいだ。無意識の負い目が出ているのだろうか。
…それとも、語られぬ本人の人生がそうさせているのか。

何にしても、彼女の本質は今ひとつ掴み切れていない。

が、思案を整理すればするほど強く蘇る。

帝国に来て間も無い満月の夜、耳にした彼女の独白。
僕に、命を預けると。
裁かれるなら、僕に引き金を引いてほしいと。

それには儚げな雰囲気と共に、彼女の強い覚悟が感じ取れた。

そして、彼女と初めて出会ったあの時。僕はかつての旅の仲間と言い争った。
仲間は彼女を、自分の心に住み共に旅をした者だと紹介した。
だが、僕は彼女の髪と瞳の色を見て強い疑念を抱いた。それは、闇に魅入られし者の色ではないのかと。
その疑念を切っ掛けに始まった仲間との口論に終止符を打ったのは、僕と仲間の間に割って入った彼女だった。
彼女は腕を精一杯に広げ、小さな背を僕に向け、仲間から僕を守っていた。
彼女に疑念を向けた僕を、だ。

その時の彼女の表情は見えなかったが、背を向けたまま「…いいの。」と呟いた彼女を見ていた仲間の顔は、愁傷に満ちていた。
それも含めて今思えば、彼女の行動はとても演技などとは思えない。

僕は、信じたくなっているのか。
彼女の行動が、全て本心からであると。

…僕も随分と緩んだものだ。

今、世界は邪神による災厄からの復興に明け暮れている。
邪神を倒す旅に参加していた僕は帝国の復興を導く者として持ち上げられ、今も我武者羅に奔走している。
それを妨げられるわけにはいかない。僕の判断に左右されるならば、尚更だ。

もしも彼女が本当に闇に魅入られし者ならば、僕自身が潔く引き金を引こう。
その時涙と悲しみが溢れたならば、それも潔く飲み込もう。

これが僕の現在の判断への、責任と覚悟だと肝に銘じて。

8/9/2024, 8:52:20 AM