初音くろ

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今日のテーマ
《あじさい》





梅雨も本番を迎え、雨の日も多くなってきている。
通学路の途中にある寺では、今年も見事な紫陽花がこの鬱陶しい季節に鮮やかな彩りを加えている。
青や紫、ピンクなど場所によって違う色の花を咲かせているのは、ここの住職が凝り性で土壌の成分を区画ごとに変えているからだという。

そんな話をしながらも、目はしっかり紫陽花に注がれている。
どうやら彼女はこの花が相当お気に入りのようで、花を眺める眼差しはいつになく和やかだ。

「紫陽花、好きなんだ?」
「うん、大好き」
「でもたしか、毒があるんじゃなかったっけ?」
「そうなの?」
「よく知らないけど、何かでそんな話を見た覚えがある」
「ふうん。そういえばスズランにも毒があるんじゃなかったっけ。可愛い花には毒があるんだねえ」
「それを言うなら『綺麗な花には棘がある』だろ」

納得顔でうんうん頷くのに突っ込めば、彼女は照れ隠しのように笑う。
そんな風に茶化した雰囲気も可愛く思えてしまうのは惚れた欲目なのだろうか。
紫陽花の花を背景に笑顔で佇む姿はこっそり写真を撮って待ち受けにしたいくらいだ。

「でも、紫陽花、美味しそうだよねえ」
「食うなよ?」
「花そのものは食べないよ」
「葉っぱも食うなよ」
「食べないったら! そうじゃなくて、この時期になると、和菓子屋さんに紫陽花のお菓子が並んでるんだよね。上生菓子って言うんだっけ、ちょっと良いお菓子。お店によって練りきりのだったり寒天のだったりするんだけど、どれも美味しくて大好きで。毎年ここの紫陽花を見る度に食べたくなるんだ」

そんな説明をしながら紫陽花を眺める眼差しや表情は、言われてみれば花を愛でるというより美味しいものを前にした時のそれで。
いかにも甘いものに目がない彼女らしいと、思わず笑いが込み上げてしまう。

「色気より食い気かって言いたいんでしょ」
「そういうところも可愛いなと思っただけ」
「食い気だけじゃなくて、紫陽花が好きなのは本当だもん」

ぷくっと頬を膨らませて彼女が言う。
上目遣いでそんな顔をされても可愛いだけなのだが、今それを言ったら拗ねさせてしまうかもしれない。
空気を読んでそれ以上の軽口を控えた俺に満足したのか、彼女は再び紫陽花を眺めて微笑んだ。

「紫陽花の花言葉っていうと『移り気』とか『浮気』とかが有名なんだけどね、花言葉も本当は花の色によっていろいろ種類があるんだよ」
「そうなんだ?」
「うん。昔ね、お父さんがお母さんに白い紫陽花をプレゼントしたんだって。お母さんは最初悪い意味の花言葉を思い浮かべて、でもお父さんは男の人だからそういうの知らないでくれたんだろうなって思ってたんだって」

花言葉か。
薔薇の花言葉が『愛してる』だという程度の知識くらいはあるけど、確かにあまり意識したことはない。
話を聞きながら、もし自分が贈るような時にはそういうのもちゃんと注意しようとしっかり心に書き留める。
彼女の父親も似たようなものだったんだろうと、内心で共感すら覚えた。

「でもね、後になって調べたら、白い紫陽花の花言葉は『一途な愛情』で。お母さんがまさかと思ってお父さんに聞いたら、真っ赤になって知らなかったってとぼけたんだって。でもその顔で嘘ついてるのはバレバレでしょ。お母さんも照れくさくなっちゃって追及はできなかったらしいんだけど、それ以来お母さんが一番好きなのは紫陽花になったんだって」

微笑ましそうに、そしてどこか羨ましそうに彼女が話す。
きっと彼女の両親は普段からとても仲睦まじいんだろう。
娘に堂々と惚気る母親も母親なら、そのエピソードをニコニコしながら恋人に話す娘も娘だ。
まさにこの親にしてこの子あり。
でも、そんな夫婦に憧れるのも事実で。

「ほら、そろそろ行くぞ。あんまり道草食ってると課題やる時間がなくなるだろ」
「ほんとだ。図書館の自習室、まだ席空いてるかな」

話を切り上げるよう促して再び並んで歩き出す。
話題は自然に課題の内容などに移り、彼女はもうすっかり紫陽花のことも和菓子のことも頭から抜けてしまっているようだとホッとする。

たしか図書館の近くには少し大きめの和菓子屋があった。
彼女の両親の話にあやかって、途中で抜け出してこっそりダッシュでその紫陽花の和菓子とやらを買ってこよう。
白い紫陽花を贈るのはすぐには無理だけど、和菓子くらいならプレゼントできる。
口実は、苦手な科目の課題を頑張る可愛い彼女へのご褒美として。
そしてそれを受け取った時に見せてくれるであろう彼女の笑顔は俺自身へのご褒美に。
放課後のこの時間だから残っているかは定かではないが、どうか残っててくれますようにと密かに祈る俺なのだった。





6/13/2023, 2:37:06 PM