汀月透子

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〈スノー〉

 午後三時、窓の外はすでに白い。都会では珍しい大雪の予報で、昼過ぎから降り始めた雪はみるみる勢いを増している。

「原さん、これは積もりますよ」

 外から戻ってきた営業の西が、コートを払いながら言った。肩に溶けた雪が無数に残っている。

「低気圧の通り道も大雪になる感じですよね」

 デザイナーの清水がデスクのモニターに天気図を映し出す。等圧線が密集した低気圧が、まるで狙い澄ましたように関東を直撃するコースを辿っている。

「子供の頃は雪降って楽しかったけどさ、大人になると大変さが勝るの実感してる」

 高橋が窓際に立ったまま、腕組みして呟いた。

「昔は東京で大雪っていうと世界の終わりみたいに何であんなに騒いでるんだろうと思ってたけど、こっちは大雪仕様じゃないからねぇ」

 雪国生まれの松居が苦笑しながら答える。

 確かに、この街には除雪車もないし、スタッドレスタイヤを履いている車も少ない。数センチ積もるだけで、すべてが麻痺してしまう。
 俺は窓の外を眺めながら、いつから雪を疎ましく思うようになったのか考えた。

 子供の頃は確かに、雪が降るたびに心が躍った。
 学校が休みになるかもしれない期待、真っ白な世界で遊ぶ喜び。あの頃の雪は、純粋な歓びの象徴だった。

 それがいつしか、交通の乱れ、納期への影響、クライアントとの打ち合わせの延期。
 雪は面倒の種でしかなくなっていた。

 クライアントからメールが来る。
 明日予定していたプレゼンテーションの延期を依頼する内容。やはり、という思いと、少しほっとした気持ちが混ざり合う。

「みんな、明日はリモートワークにしよう。
 無理して出社する必要はない」

 俺は社員たちに告げた。ざわめきと安堵の声が小さなオフィスに広がる。

「それから」と俺は続けた。
「週末も含めて三連休になるけど、宿題を出す。
 雪をテーマに写真を撮ってきてくれ。
 何でもいい。感じたままを切り取ってほしい。
 月曜に会社のSNSアカウントにアップしよう」

 社員たちは顔を見合わせ、それから笑顔を見せた。
 デザイン会社として、こういう季節の一瞬を捉えるセンスは磨いておきたい。
 それに、せっかくの雪だ。楽しまなければもったいない。

 仕事を早めに切り上げた俺は妻に代わり、保育園と学童保育へ子供たちを迎えに向かった。
 郊外は都心よりも気温が低く、雪はさらに激しさを増している。

「パパ、雪!雪!」

 五歳の娘が両手を広げて飛び出してくる。学童では八歳の息子も目を輝かせていた。

「すごいね。明日は真っ白になってるかもしれないよ」
「公園行きたい!雪だるま作りたい!」

 雪でハイテンションになる子供たちを見て、胸の奥が少し温かくなった。

 子供たちにとって雪はまだ、魔法みたいなものだ。
 雪を疎ましいと思うのは、大人になって背負った責任や義務が、純粋な感動を覆い隠してしまったからだ。

 経営者として、いつの間にか効率や実用ばかりを優先するようになっていた。
 でも、季節の移ろいや自然の営みに心を動かす感性を失ってしまったら、デザインという仕事の本質からも遠ざかってしまうのではないか。
 シャーベットのような雪を踏みながら、俺は考えていた。

──

 翌朝、世界は一変していた。
 窓を開けると、見慣れた街並みがすっかり雪に覆われている。車も電柱も、すべてが白い布を被せられたように静まり返っている。

「わあ!」

 普段よりずっと早く起きた子供たちは、今にも外に飛び出しそうに興奮してる。
 朝食もそこそこに、三人で近所の公園へ繰り出した。

 時間が早いからか、公園はまだ人が少ない。
 小高い丘に子供たちが登り、こちらに向かって手を振る。すっかり晴れた青い空と真っ白な雪、子供たちの赤い頬。
 俺はスマホを取り出し、シャッターを切った。

 次第に人が集まり始める。
 転んでは笑い、雪まみれになってはしゃぐ子供たち。
 木の枝に積もった雪。誰かが作りかけた大きな雪だるま。足跡だけが残された真っ白な斜面。
 一枚、また一枚。シャッターを切るたび、子供の頃の自分が少しずつ蘇ってきた。

──

 月曜の朝、出社すると社員たちもそれぞれに撮影した写真を持ち寄っていた。
 雪に埋もれた自転車、雪の結晶の接写、雪かきをする近所の人々、故郷の雪景色との対比を意識した構図……

「いい写真ばかりだな」

 俺は一枚一枚に目を通しながら言った。それぞれの視点、それぞれの雪との向き合い方がそこにあった。

 会社のSNSアカウントに、写真を順番にアップしていく。「雪の記憶」というタイトルで。
 コメント欄には、すぐに反応が集まり始めた。

 雪は、やがて溶けてしまう。でも、この週末に感じた何かは、きっと心に残り続ける。

 俺はもう一度窓の外を見た。屋根の雪はまだ残っているけれど、道路はすでに黒いアスファルトが顔を出している。街は日常を取り戻そうとしている。

 それでいい、と思った。日常の中に、時折訪れる非日常を楽しむ心の余裕。
 この歳になって改めて学ぶべきことなのかもしれない。

 雪は、そんなことを俺に思い出させてくれた。

──────

子供たちが小さい頃、大雪の翌日撮った写真が下からのアングルで、まるで雪国のような構図でした。
首都高がストップしたりで大変でしたけどね。

今はもうただひたすら家から出たくないですけど(

12/13/2025, 9:14:34 AM