かたいなか

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「『忘れられない』。……わすれられないか」
コロナ禍初期、封鎖された公園と、一台も駐車場に車が無い大型ショッピングセンターは、強烈過ぎて今でも覚えてるわな。当時を想起する某所在住物書きは、茶を飲みチョコを口に放って、小さく息を吐いた。
「少なくとも2通りある気がすんの。
バチクソ強烈で消したくても頭から消えないか、
覚えて忘れそうになって再発して覚えて忘れそうになって再発してをずっと繰り返すか」
ガチャ爆死の事例は、前者後者双方あるだろな。物書きは唇を噛みしめ、忘れ得ぬ○万円の散財を思う。

――――――

忘れそうになった頃に思い出す香りがある。
職場の先輩のアパートで、先輩がたまに焚いてる香りだ。アロマポットみたいな焼き物から出る香りだ。
それが何か昔聞いたことがある。先輩は、ほうじ茶製造器と言いかけてすぐ、茶香炉、と言い直した。
キャンドルの熱で茶葉――主に緑茶の茶葉を温めて、ほうじ茶にするついでに香りが出るとか。
大抵甘くて、たまに甘くなくて、そのいずれも優しくて。要するにほうじ茶製造器だ。
先輩の家にご飯をたかりに、ゲホゲホ!……食事ついでに仕事の手伝いをしに行くと、数回に1回エンカウントするので、いつまでも覚えてる。
別に、嫌いでもない、穏やかな香りだ。

大抵その香りがする日は先輩低糖質スイーツとお茶出してくれるから、良い香りとして記憶してる。

「先輩今日茶香炉キメる予定無い?」
「『キメる』……?」
職場でクッタクタに疲れることがあったりすると、数回に1回、無性にあの香りを思い出す。
正確に言うならあの香りと先輩のご飯を。
「例の課長にゴマスリしてばっかりの、ゴマスリ係長から仕事丸投げされたの。頑張って終わらせたの」
多分、香りが優しくて、珍しいからだ。
ミントでもサンダルウッドでもない、グリーンティーのオイルともちょっと違う香りが、優しいからだ。
あと多分先輩の塩分&糖質控えめご飯が心と健康の味方だから。
「いつでもまず相談しろと、言っているだろう」
「先輩ゴマスリから別件押し付けられてるでしょ」
「それは、……まぁ。ごもっとも」

「私お肉とお野菜出すから。なんなら先輩の仕事手伝うから。今日茶香炉キメる予定無い?」
「肉も野菜もこっちにある。……少しだけ、こちらの案件を手伝ってもらえれば」
「やった先輩愛してる」

香って、覚えて、おぼろげになって忘れかけて、
また香って覚えて、おぼろげになる。たまにこっちから香りを迎えに行く。
それが繰り返される、先輩の部屋の茶香炉の香り。
「パスタと豚肉の何かと、実家から届いた根曲がり竹の予定だったが。変更のリクエストは?」
「ネマガリダケ?」
「ホイル焼きで、一味か七味にマヨネーズを」
「ねまがりだけ、いず、なに……?」
これからもきっと、思い出して忘れかけてが続くだろうから、多分いつまでも忘れられない、と思う。

5/10/2023, 2:26:10 AM