sairo

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「やあ。久しぶり」

気がつくと、懐かしい社の前。
最初の自分を模した姿をした少女が、変わらずにこにこと笑いながら手を振っている。

「随分とダイタンだったね」

その言葉に今までを思い出し。

耐えきれずに膝をつき、顔を覆って声にならない叫びを上げた。

「やってしまった。何で、どうして、っ!」
「ジョシコウセイ?って、何だかとってもスゴイね。驚いたよ」
「それ以上っ、言わないで、下さい!」

今更ながらに羞恥心が込み上げ、赤面する。
何がしたかったのか、今となっては分からない。自分の気持ちに気づいての行動にしては、明らかにやり過ぎである。あんなに狼狽た狐の姿を見たのは初めてで、哀れみすら感じさせた。

まあ、結局今更な事ではあるのだが。

「一応聞くけど、もらっておく?」
「…もう手遅れですので、遠慮します」

狐に対してだけではない。学校でも酷かった。
旦那が出来たなどと吹聴し、事あるごとに狐の話題を出し。
話に付き合わされた親友には、本当に迷惑をかけてしまった。

「でも狐の記憶を抜く事は…その、一部だけでも」
「断られたよ。恥ずかしかったし驚いたけど、それでも嬉しかったみたい」

せめて狐の記憶がなければまだ救いはあるのかもしれないと思ったが、現実は非常である。
知らない方が良かった事実も知ってしまい、後戻りの出来ない状況にあの日の行動を心底悔やんだ。

「分かっています。分かっていましたとも!後戻りなど出来はしない事は、十分過ぎるほどにっ!」

繰り返す生の中で、選択を誤った事など何度もある。そのすべてでやり直しは出来なかったのだから、やはり今更だ。
深く息を吐き、立ち上がる。真っ直ぐに少女と視線を交わせば、満足したように頷いて手を差し出された。

「それじゃあ、サヨナラかな?楽しかったよ」
「はい。さようなら、です」

差し出された手に、同じように手を伸ばし。これで最後になると、微笑んで。
けれど、ふと親友の姿が思い浮かび。

その手を重ねる寸前、思い止まり手を下ろした。

「どうしたの?」

首を傾げる少女に、僅かに言い淀む。
一度目を閉じ、頭を振る。目を開け、祈るような気持ちで口を開いた。

「私の親友の夢の中に入る事は可能でしょうか?」
「ん?まあ、縁があるなら出来なくもないよ」

だけど、と少女は続けて忠告する。

「その理由如何によっては、否、と答えるね。対価が必要になってしまうもの」

さて、どうする?と、何処か冷たい目をして笑い尋ねられる。
初めて見る少女の表情に思わず視線を逸らしかける。怖い、と逃げ出したくなる感情を、手を強く握る事で抑え込み。少女から視線を逸らす事なく、その理由を口にする。

「よく原因不明の発作が起きるんです。そのせいか最近は学校でもよく寝てて。一週間以上学校にも来なくなって。発作が起きて、意識が戻らないって……親友、なんだ。大事な。大切な。一番の親友」

狐に怯え、それでも狐を探して挙動不審になる自分に、気にせず話しかけて来た彼女を今も覚えている。色々な場所に連れ出され、たくさんの思い出をくれた彼女がいないのは耐えられない。

「溺れている感じに近いって。水がないのに溺れるなんて、そんなの…っ!だから夢の中なら分かるかもって…」
「そうだね。呪いか、化生か、はたまた妖か…いずれにしても、それが理由ならば答えは是、だよ。夢に入る事は難しいけれど、見せてあげるくらいなら出来る」

先程とは異なる優しい笑みを浮かべ、少女は社の扉を開けた。
薄暗く狭い室内の奥。一つだけ置かれた丸い鏡の元へ行くとこちらに振り返り、おいで、と手招かれる。

「この鏡に触れて、その子の事を考えて。そうしたら見えてくるよ」

手招かれるまま、促されるままに、社に入り鏡に触れた。
ゆらりと鏡面が揺れて、暗い何処かを映し出す。

「水の、底?」
「井戸…違うな。見立てているだけで、これは池か」

揺蕩う底で、髑髏が首のない骸骨に向けて語りかける。声は聞こえない。
骸骨の手が髑髏へと伸びて。

何故かそれは、それだけは駄目だと思った。

「駄目!行かないで」

思った瞬間には、叫んでいた。理由は分からず、届かないと知りながらも必死で鏡の向こう側へと手を伸ばす。

「行かないでよ。お願いだからっ!」

叫んで、泣いて、手を伸ばして。

声が聞こえたのか、それとも偶然か。
骸骨が手を下ろし。黒いいくつかの影が、骸骨を抱き竦めるかのように覆い、髑髏の目と口を覆う。

そうしてまたゆらりと鏡面が揺れ、視界が黒く染まる。

気づけば、背後から少女に抱き竦められ、手で視界を覆われていた。


「…もう大丈夫かな」
「ありがとう…ごめんなさい」

力が抜ける。それを確認して、視界を覆う手が外されそのまま優しく頭を撫でられた。

「親友。意識が戻ったみたいだね。会えるかは分からないけど、行ってみるといいよ」
「でも……うん。分かった」

言いかけて、何も言えず。大人しく目を閉じる。
薄れていく意識の中、何かを抜き取られる感覚がした。




「思ったより深刻だな」

手にした彼女の記憶を片手に、少女は小さく息を吐く。

原因不明だと彼女は言ってはいたが、先程の光景を見る限りその原因は明らかだ。

「狂骨。しかも意図的に作られたとか…業が深いねえ」

井戸に見立てられた池の底に沈む数多の骨。その妖の核になるはずの魂が、何故か人間として生きている。
偶然か。必然か。どちらにしても妖としてすでに成ってしまっているモノが、人間として生きられるわけがない。水の底から還ってくるようにと引かれ続けているせいで、何度も倒れるのだろう。
最後に見た影が鎖となって縛り付けているのだろうけれど、それも時間の問題だ。あれはもう、どうにもならない。


「一応、長様に話しておかないと、かな」

手にした彼女の記憶を、彼女の親友の夢の記憶を飲み込んで手を振るう。
辺りの光景がどろりと溶けて、暗闇だけが続く空間へと変わり。
常世へと繋げた道に、迷いなく足を進めた。



20240804 『目が覚めるまでに』

8/5/2024, 1:48:16 AM