潮鮫

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君が死んだ。

ある暑い夏の日だった。













『蝉は一週間しか生きられないんだね』


外は照っているのに関わらず薄暗い病室。
陽を浴びたことがない君は青白く、
無機質な部屋に溶けて消えそうだった。

君の手元には昆虫図鑑が収まっている。

「でも、長生きする奴もいるんだって」

『ふぅん?凄いね』



夏休みに入ってから、毎日ここに来ている。
君の担当である看護師のおばさんは
僕が来ると嫌そうな顔をし、バイ菌がつくからと
少し前にはついに部屋を追い出された。
それ以来、部屋に入れさせてもらえない。
そこで、病室が一階にあることを利用して
こっそり窓から侵入する方法を編み出した。
お菓子や外で撮ってきた写真を持って行くことを約束しているので、ちょろまかしたお菓子を母さんに疑われても誤魔化している。


『今日は暑いね。ここにいても蜃気楼が見える』

「しんきろう?」

『道がゆらゆらしてることだよ
 暑い日にできるんだって』


今日持ってきたのはアイスだ。
ここに来る時、家の手伝いをしてもらったお駄賃を
使って駄菓子屋で買ってきた棒アイスを2人で舐める。



「ねぇ、ここ出て遊んだりできないの?」

『難しいって言われちゃったんだ。
 今は落ち着いてるけど、
 いつ悪くなるかもわからなくて』



君の病気は最後までわからなかった。
教えてくれなかった。



「じゃあ、もし外出れるようになったらさ、
 絶対海行こう。海、凄い綺麗なんだよ」

『いいよ、でも絶対だよ?
 その日まで僕のこと忘れないでね』


君が差し出した生白く細い小指に、
薄く小麦色に焼けた小指を絡ませる。

「忘れるわけねーじゃん」

『言ったね?忘れてたら許さないよ』


顔を近づけて、くふくふと笑いあう。
秘密の約束に胸が躍って、
心臓の内側にまた一つ大切なものが並んだ。






それなのに、白い病室から君はいなくなった。

溶け込んだんじゃないかと思うほど跡形なく。

それでもおれは通い続けた。


ある日、小さくて綺麗な箱がベットに腰掛けていた。
上で結ばれ、巾着のような形をしている。


こっそりと中を覗けば、白い塊が入っていた。
これはイコツというやつだろうか?

おばあちゃんの葬式で見たな、と思うと
君が死んだことをようやく脳が理解した。


沸騰するような熱が胃の奥から這い上がり、
沢山の手が口をこじ開けて声となって
薄く細い君の背中を掴もうと足掻いた。







気がつけば海にいた。

今日は星がよく見えて、
ふと君と読んだ話を思い出した。


死んだ人が星となり、ひとりぼっちの女の子の
願いを叶えてあげる話。


君も今頃星になっているのだろうか。

思わず取ってきてしまった手元の小さな骨は
軽い音を立てて転がるだけで、
君の澄んだ声はもう聞こえない。

もう会えない。
もう話せない。
もう触れない。

視界が揺れ、頬が熱い。
脳みそに花が咲いたように何も考えられない。
冷たい海の水は足を駆け上がって、
火照った顔を包み込んだ。

こういうのを何というのだったか。

そうだ、ニュウスイだ。
これも君が教えてくれた。



でも、おれだって君が知らないことを沢山知ってる。

春に見る桜は、近くで見ると薄く透けること。
夏の始まりには、虹が沢山見れること。
秋の木の葉は湿った匂いがすること。
雪は冷たく、人の肌は赤く色づくこと。
雨は柔らかくて、時に歌となること。
星の光は海の中まで届くこと。



全部教えたかった。
全部知りたかった。

もっと触れたかった。
長生きできる、強い蝉になってほしかった。
夏の夜、光りながら生まれるような蝉に。





おれは、星になれたらいい。
何光年も前に生まれ、世界を知る美しい星に。

4/5/2024, 4:57:19 PM