「今を生きる」。そんなキャッチコピーの企業どこかにあったなと調べたら、
「今日を愛する」の間違いだった物書きです。
鎮痛薬は半分優しさバ◯ァリンよりリ◯グル派の物書きが、こんなおはなしをご用意しました。
最近最近のおはなしです。都内某所のおはなしです。某稲荷神社敷地内、メインの参道から外れた場所に、小さな石碑を伴った小さな祠がありまして、
それは名前を「たたり白百合の祠」、あるいは「附子の祠」といいました。
昔々そこに鎮まっていた花の亡霊が、人間に花畑を散らされ壊され土を削り盛られて街にされ、怒りと悲しみに狂って花の怨霊になってしまったのを、
3本尻尾の金雄狐と2本尻尾の銀雌狐が懲らしめて、大事な記憶を何個かポイポイ抜き取って、トリカブトに変えて鎮め直したのが由緒。
だから附子なのです。だから祟り白百合なのです。
稲荷神社には花の怨霊を懲らしめるおはなしが絵本として残っており、
稲荷神社に住まう狐は、皆、みんな、「自分のお家がどうしてそこに建っていて、自分のお家になんで知らない花の幽霊が同居しているか」を、
誇張表現ちょい増しで、覚えるのでした。
つまりこの花の亡霊、
今を生きる者とはまったく別の存在でして。
すなわちこの花の亡霊、
今を生きる者の法律は全然適用されぬ存在でして。
だって、亡霊を裁く法律も、亡霊を守る憲法も、この日本にはちっとも、存在しないのです。
まぁ当然といえば当然でして。
「ぼーれーさん、はたらけ!はたらけ!」
稲荷神社の稲荷子狐、亡霊の頭に乗っかって、
カジカジカジ、かじかじかじ!
亡霊の髪の毛を噛んで遊んで、尻尾でピタピタ!
花の亡霊の草むしりと、神社の掃除を監視します。
「ぼーれーさん、キツネとあそべ!」
夏の稲荷神社は植物伸びる季節。
稲荷の神様の土地を美しく整えるために、
花の亡霊、ちまちま草むしりなどするのです。
時折子狐の理不尽に振り回されたり、
あるいは子狐のお母さんの買い物の荷物持ちを無報酬でやらされたり、
なんなら子狐のおじいちゃんや、おばあちゃんの代わりに、参拝客にお守りを授与したりしながら、
ちまちま、ちまちま。草むしりなどするのです。
だって花の亡霊は、今を生きる者ではないのです。
だって花の亡霊には、法も労基も無いのです。
まさに完璧で究極の下僕!もとい労働力!
大事にしなければなりません。
「良いのかい子狐。そろそろ私の頭から降りて、餅売りの準備を始めないと、間に合わないよ」
「やだっ!キツネ、ぼーれーさんで、あそぶ」
「私のような亡霊と遊ぶより、今を生きる人間たちと触れ合って、社会を学ばなければ」
「やだ、やだっ!キツネ、あそぶ!」
「管理局のお得意さんがお前のお餅を待ってるよ」
「おねーちゃん! おねーちゃん!」
くわぁくくく、くわぁくくく!
子狐は大きな声で元気に鳴きました。
花の亡霊の頭に乗っかっていた子狐、興味執着が亡霊から別の者に移ったようで、
亡霊の頭を足場に蹴って、ばびゅん!
稲荷神社の宿坊兼子狐一家の自宅に戻り、子狐が修行として課されている餅売りの準備を始めます。
「父親の小さい頃そのまんまだなぁ……」
ガッツリ後頭部を蹴られた亡霊は、ため息ひとつ。
花の亡霊は昔々から居る亡霊なので、子狐のお父さんが子狐だった頃を、よくよく知っているのです。
「さて。残った雑草を片付けないと」
まったく。最近は私が生きていた頃より、ずっとずっと暑くてかなわない。
再度ため息を吐く花の亡霊は、まだ草むしりの終わっていない区画を見て、軽く頷いて、
今を生きる参拝者のために、もうひとがんばり、無賃金労働を頑張るのでした。 おしまい。
7/21/2025, 9:36:50 AM