ほたる

Open App

大切な人の明日を信じられたことは、一度もない。

また明日、ほど保証のないものもないと思う。
人は日々生きていて、ひとりひとりにそれぞれの時間が流れていて、その中で終わる命もあるのに。人はどうして明日も会えるだなんて簡単に信じられるのだろう。きっと愛する人の明日を信じるのが正解で、3時間後には生きていないかもしれない、と思う私はきっと頭がおかしいのだ。

昔から何かに執着して生きていた。
服、音楽、友達、恋人。
しっかりと認められた状態でなにかを愛していないと、生きていけなかった。

そんな私の人生にも、6ヶ月間だけなにもない時間があった。

何にも縛られず、愛さず、依存しない日々は全てから解放されたようで、ああ、こんなにも羽が生えたような気分で生きていけることがあるんだなと思った。
だけど私はその期間、全ての気持ちを飲み込んでいたように思う。愛さないということは、きっと私にとって全ての気持ちをぼかすということだった。
25年というまだ短い、そしてこの先長い人生だが、きっともう何も愛さない時間はもう二度と訪れないと思う。
あの時間には羽が生えていたけれど、私にはその羽で、一人で空を飛ぶ力はなかったのだ。

だから私は今日も、愛する人に手を振るたびに、着信の切れる音を聞くたびに、心の中身を覗くたびに、思う。

もう二度とないのかもしれないのに、私はどんな顔でどんな声で笑えばいいのだろう。

3/24/2025, 2:19:17 PM