真岡 入雲

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曾祖父の代に起こした事業に成功し、以降、我が家は使用人を何人も抱えるほどの裕福な家で、それは今も変わらない。
私と兄は両親ではなく祖父母に育てられた。
礼儀作法に始まり、勉強、スポーツ、音楽とありとあらゆる事を叩き込まれた。
それこそ自由になる時間など少なく、両親と顔を合わせるのは食事の時くらい、という程に。
けれどそこには祖父母の愛情があった。
この先の人生で、私たちが恥をかくことがないよう、要らぬ苦労をすることがないようにと。

私と三つ年の離れた妹は、母に育てられた。
生まれて直ぐ兄や私を祖父母に取られたような形となった母は、妹は自分の手で育てると祖父母に直談判した。
父も母の希望に添い、母と共に祖父母に願い出たと言う。
祖父母は渋っていたが、子供を自分らの手で育てたいという父の願いを無下にはできず、妹のことに関しては口を出さない約束をしたのだそう。
妹とは両親同様、食事の時くらいしか顔を合わせることがなかった。
私も兄も勉強や習い事に忙しく、あまり家には居なかったから。
だからか、兄とは違い妹には家族の愛情のようなものを感じたことがなかった。

兄が16歳、私が14歳の時、祖父母によって許嫁が決められた。
兄の相手は祖父の友人の孫娘、兄と同い年の奏さんは優しく、綺麗で素敵な女性。
私の相手は父の知り合い、と言うか取引先の息子さんで泰広さん、私のひとつ年上の方。
所謂、政略結婚で、この時代に政略結婚なんて、と思われるかも知れないけれど私は別に構わなかった。
この家に生まれた時点でそういうものだと聞かされて育ってきたのだから。
寧ろ、泰広さんはモデルのようにスタイルも良く、とても格好良い方だったので内心良かったと思っていた。


「⋯⋯えっ?」
「だからぁ、泰広さんは私が貰うね。お姉ちゃん」

夕食時、事もなげにそう言った妹に私は言葉を失った。
貰う?どういう事?泰広さんは私の許嫁だけど?

祖父は4年前、祖母は3年前に亡くなった。
兄は大学卒業と同時に奏さんと結婚し、父が祖父から継いだ会社で働いている。
今は会社近くのマンションで奏さんと新婚生活を楽しんでいる。
私はと言うと、大学に進学し勉学に励んでいる。
来年大学を卒業したら泰広さんと結婚する予定だったのだけれども。

「そういうことなの。あちらも了承してくださったわ」
「泰広さん、お姉ちゃんより私の方が好きなんだって」
「当然でしょう、あなたの方が可愛いんだから」
「だから、来年、泰広さんと結婚するのは私なの。ゴメンねお姉ちゃん、私、お姉ちゃんより先に結婚しちゃうねぇ」

母と妹が、お気に入りの服を譲れとでも言うかのように話しているのに目眩がした。
特別、泰広さんに恋愛感情がある訳では無い。
泰広さんと妹が、そういう仲なのであれば、喜んで許嫁の座を渡すのだが、これは⋯⋯。

「⋯⋯⋯⋯わかりました」

私や兄と違い、両親によって、蝶よ花よと育てられた妹は我慢することを知らない人間に育った。
欲しいものがあればすぐに手に入れたいと、父や母におねだりをする。
そして父も母もそんな妹に甘い。
おかげで色々な物を妹に取られた。
祖母に貰ったビスクドール、祖父から贈られたネックレス、友人から誕生日に貰ったぬいぐるみは、気がついたら妹の部屋にあり、しばらく後にボロボロの状態で私の部屋に投げ入れられていた。
その時妹は『もう飽きたから要らない』と言った。
人の物を黙って取っていきながら、要らないとはどういうことなのか。
私はボロボロになったぬいぐるみを一晩かけて直した。
それからもお気に入りの服、靴、鞄と、気がつくと妹に取られている。
初めのうちは返すよう、妹に言ったが、いつも母が姉なんだから譲れと言う。
毎回毎回言われれば、こちらはもう言い返す気力さえなくなる。
だから、自分の好きな物ではなく、妹が好きにならない物を身に付けるようになった。
シンプルなデザインの可愛くもない無難な物だけを。

幼い頃、両親と手を繋いで歩く妹を見た時、羨ましいと思ったことがある。
私と兄は両親とあんな風に歩いた記憶がない。
食事の時もマナーを守らず、食べるものを選り好みし、自分の嫌いな物があれば使用人に文句を言う。
祖父母が何時も冷たい眼差しで妹ではなく父と母を見ていた理由が今ならわかる。
両親の子育ては『優しい虐待』だ。
社会に出て、子供が苦労することがないように、子供をきちんと躾る、その最低限の事ができていない。
これから苦労するのは、妹だ。
そして自分がそういう状態であるという事を彼女は気づけるだろうか。
まぁ、そんな妹に手を差し伸べるほど、私は妹に愛情を持っていないのだけれど。

食事を終え、私は部屋に戻り兄に連絡する。
泰広さんのこと、それから今後のことを相談するために。
取り敢えず、この家は出ようと思う。
一度でいいから、一人暮らしがしたかったし。
確か兄所有のマンションに空きが出たと言っていた気がする。
そうだ、結婚する必要が無くなるのなら、留学してみるのも悪くない。
世界を旅行して回るのもいいかもしれない。
キャンピングカーで日本一周というのも、いい経験になるだろう。
兄は少しの間私が、自由に生きるのを許してくれるだろうか。
ずっとでなくて構わないし、必要があれば政略結婚でも何でもする。
だからそれまでの少しの間だけでも、私は自由を満喫してみたいと思う。



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(´-ι_-`) 身が美しいのが『躾』

8/9/2024, 3:21:55 AM