「なにか力になれることがあったら、言ってね」
取り繕う気力もないまま、「大丈夫だよ」だなんて言ったところでかまちょにしか見えないから。
愛想がないから。
当たり障りのない、解決策を提示しやすい悩み事を取っ付けては、相談風に吐露する。
「頼られた」
それで相手が満足するならいいんだと。
それこそが、
人の善意を無碍にしているようなものなんだろう。
捻くれている。拗らせている。
なんとも不器用で哀れだ。
美しいものだけ見て、聞いて、食べる。
そうして生きられたのなら、少しは何かが変わったか。
想像もつかないそんなのものを考えることに意義はないから、
やめた。
伝える努力を諦めれば、もう。
時に人は、何を言ったって伝わらないときがある。
映画が流れている中、ドライアイで滲んだ涙を拭っていれば
他からは“感動”と見られる。
ドライアイなんだ、そう言えば
“強がる”なんて、“子供っぽい”ところもあるんだな。
こういう些細なことに、絶望を感じる。
他者からの自分の印象を、コントロールしきれるものではない。
分かっているはずなのに、自分の知らないところで勝手に解釈が進んでいくのは恐ろしい。
知ったような口を聞かれては、訂正しようとするとそれがまた“否定”に受け取られて。
連鎖、連鎖、連鎖。
優しさの面を被れば、優しくなれる気がした。
だから、俺は。
なんのために優しくありたいのかを失っては、気づけば足がコンクリートに埋まっている。
地を連なる蟻の数を数えては、
通りすがりの子供が踏み潰していく様を見つめていることしかできない。
子供に罪はない。
善悪を知らないのだから、仕方がない。
未来があるのだから、年長者が甘んじて寛容さを示すべき。
その様を横目で見て、子の手を引いてまた遊具で遊ばせる親。
当たり前か。
これだから、子供は。
これだから、人間は。
これだから、世界は。
これだから、俺は。
脚が千切れ、腹が潰れど、
頭がまだついている。
死にきれないまま、残った一つの脚で起き上がろうとしている。
ただ一匹の蟻。
どんっ、
靴底で踏み潰した。
5/18/2026, 1:28:00 AM