紙ふうせん

Open App

私は、学校が嫌いだった。
体が弱くて、みんなより2学年くらい小さくて、クラスのいじめっ子の男子にいじめられていた、といっても昔の事なので、今の様な陰湿ないじめではなかった。

ただ、本の虫のせいか近眼で、高学年からメガネをかけていた。

ひとりの男子が「やーい、カニクイザル、メガネザル、テナガザル、タイワンザル〜!」と
レアなサルの名前を挙げ連ねて私をからかっていた。

その事に、私はとても感心した。
からかう為に、わざわざ図鑑で調べて覚えたのだと思うと、努力家だなぁ、とひどく心に残っている。

不思議な事に、たしかに3年間行ったはずなのに、中学生の頃の記憶が殆ど無いのだ。

小学校までは、それこそ幼馴染ばかりだったからみんなの事をだいたい入学前から知っていた。

それが、中学生になったら、道路を挟んでK小学校があった為、そこの生徒が全員同じ中学校に行ったのだ。運悪く、私は学区がギリギリのその中学校で、入学式の日、自分の名前がついた机に緊張していたけれど、私以外の子は、みんな同じ小学校からなので、初日から男子は騒ぎ、女子は友達を見つけて、〇〇ちゃーん!とキャッキャと楽しそうだった。

記憶がないのはそのせいかもしれない。
かろうじて、入り口のところに春になると綺麗に芝桜が咲いていた事、小学校と違って給食の重い汁物などは、先生がついていて、荷物用のコンテナで上まで上げてくれるので、なかなか便利だな、と思った事は覚えている。
クラスメイトも覚えがない。

高校は、男子が怖かったので女子だけの高校に入った。
1クラス50人の、今までで一番人が多かったと思う。

でも、高校はとても楽しかった。
友達もたくさん出来たし、みんなとニックネームで呼びあった。
やってみたかった合唱を部活に選び、いい先輩や先生、そして後輩に恵まれ、とても楽しかった。

夏休みなど、親は仕事でいないので、暇になると、定期を使って学校に行き、部室になってる音楽室に行った。
すると、誰か誰か来ていた。
最初は3人くらいだったのが、最終的には10人くらい集まり、誰かが普段お世話になってる音楽室のお掃除をしようよと言い出し、そうだねとみんなでお掃除をした。

休みなので、合唱曲を大きな音でかけながら心を込めてお掃除していると、顧問の先生が音を聞きつけ顔を出し「お、これはご苦労さん」と言ってくれた。

ピカピカになってひと休みする頃、先ほどの顧問の先生が「みんな、ありがとう」と学校前の商店で飲み物やポテチなどを両手に1袋ずつ持って来てくれた。

みんな喉も乾いていたので、「わ〜!ありがとうございま〜す」と言って、床に座り込み大きなペットボトルの飲み物とたくさんのお菓子を食べた。

みんなで頑張った文化祭、悲しくて涙が出る時は黙って手を握ってくれていた友達。

初めて学校が楽しい、と心から思えた。

卒業したくないねと友達と言いあった。
心底、あと2年は学校に通いたかった。



あれから時は流れ、なんの縁か、娘も同じ高校に行き、やっぱり「それまでイジメられたりして嫌だったけれど、最後があの高校で良かった!」と言っていた。

幾ら年月が経とうともキラキラ輝いていつまでも、私の心の中の大切な思い出を保管する場所にデーンと居座り続けている。

私にとって、決していつまでも忘れられない、楽しい思い出たち‧⁺ ⊹˚.⋆ ˖ ࣪⊹‧⁺ ⊹˚.⋆ ˖ ࣪⊹


5/9/2023, 2:41:11 PM