向かい合わせ
その人とは三度見合いをした。
紹介された人と2度目3度目に会うことも見合いと言うなら。或いは見合いをするのは一度だけで、同じ人と再び会うのは交際しているというのなら、若干話は違ってくる。
とにかくその人とは三度会った。
一度目はいわゆる見合いという感じで、仲人がおり、付添人がおり、事前に釣書用の写真も撮ったし、見合いをしたことがなくても聞いたことのあるような「あとは若いお二人で」というあの言葉も聞いた。
とは言えそこに残された2人は今出会ったばかりの2人で、たとえ机を介して向かい合って座ろうが、運ばれたコーヒーが冷めようが、一向に距離が机以上に狭まらない。
二度目はないだろうと思っていたら、数日後にまた同じ場所で会う手筈が整えられていて、それが三度目も起きた。
無言の一時間だった。
何をしに来たのだろうと思いながら二度も三度も来るこちらもこちらだけれど、そんな女を二度も三度も誘う男も男だと思う。
二度目は未だ探り合うような空気もないではなかった。三度目になると互いに互いが見えていないかのように、店内のざわめきや店外の人の流れを見ながらゆったりとコーヒーを飲んだ。
四度目に会ったのはその人ではあったが実体ではなく、もちろん幽霊でもなく、その人の写真だった。
週刊誌の2ページをどんと使っていつの間に撮られたやら、あの無言の喫茶店で2人向かい合った写真が掲載されている。「仲睦まじく談笑する2人」などというキャプションは皮肉かと思えるほどのある意味痛烈な記事で、これには引き合わせた仲人も少し焦ったように顔を見に来てくれた。
こちらとしては答えようがないので、「あちらがそうと言えばそうだし、違うと言うなら違う」と言うと、仲人は一瞬憐れみを含んだような瞳をこちらに向けた。
それから数回実体ではない彼に会った。
書き立てられる数ページの記事は、三度会っても知らなかった相手のことを事細かに教えてくれた。
週刊誌を賑わせた2人が内輪で祝言を挙げたという記事で一旦事の収束を見たのはそれから8ヶ月くらい後のことで、週刊誌は家柄がどうの、速度がどうの、純愛がどうのとたくさんの文字を使って世の中に知らせてくれたが、どのひとつも大スクープ──実は交際ゼロ日結婚だということは取り上げなかった。
わたしと夫は三度見合った。
向かい合わせの席に座り、週刊誌が言うところの「仲睦まじい談笑」を一時間。
次に実体に会ったのは祝言のときだった。
彼は白無垢姿のわたしを見て開口一番 「怒っていますか」と問う。
「いえ、でも多少混乱しています」
「手荒ですみません。どうしてもあなたがいいと思ってしまったので、先に外堀を埋めようと思って」
「どうやら完全に埋め立てられたようですね」
「やめましょうか」
「今更水を流しても災害が起きるだけです。堀が埋められたなら城を落とすまで」
彼は満足そうに微笑んだ。
わたしたちの間にはもう机が存在していなかった。
時折私達は向かい合わせに腰掛けて「仲睦まじく談笑」する。
互いの存在を確かめるようにゆったりとコーヒーを飲む。
8/25/2024, 10:56:41 AM