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空に溶ける

 角を曲がったとたん、美味しい匂いが鼻をくすぐる。
「今日は…牛丼だと思う」
同僚の一人が言って、他の皆もそれだ!と頷く。
「それか、肉じゃがかな」
と別の同僚が言うと、そっちかも!と皆が同意する。
醤油と味醂と砂糖の甘辛い香り、どちらにしても絶対美味しいやつだ。

 うちの職場の社員駐車場は車通りを一筋入った所にあって、周りを古い住宅に囲まれている。
仕事終わりのこの時間、どの家からか必ず美味しそうな匂いが漂ってきて、それが何のおかずか予想するのが私たちの日課だ。
 あれこれおかずを想像しながら、私たちは従業員から主婦の顔に変わってゆく。
今日やらかしたミスのこと、嫌なお客さんがいたこと、気になる明日の申し送り、何もかも肉じゃがの匂いと一緒に、夕暮れの空に溶かしてしまう。
 ここからは家庭のステージ。
お疲れさまーと車に乗り込むと、頭の中はもう帰宅後の段取りで一杯だ。
 さあ、冷蔵庫に肉じゃがの材料はあったかな?
 
 

5/21/2025, 1:11:54 AM