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この文章は適当な随想です。筆者の誤解が含まれている可能性があります。


日本語に愛という概念ができたのは近代に入ってからであり、それまでの「愛」と言う言葉は別の意味を持っていた。

また、現代においても、「愛」と言う言葉は英語ではラブ、フィリア、アガペー、エロスなど複数の意味を一つの「愛」と言う言葉にしてしまっている。

この中で、ラブは「恋愛」、フィリアは「友愛」、エロスは「性愛」と言えるが、アガペーは「神の愛」と表現され、現代日本人には今ひとつピンとこない概念となっている。

このアガペーを表現するに、誤解を恐れず言うと、等しく生きるもの達に降り注ぐ愛であり、太陽のような、雨のような、雪のような、風のようなものということではないかと思う。
これは筆者の感想であり、聖職者からすると大いなる誤解かもしれない。
しかし、ハロウィンもクリスマスもやるが初詣もする現代日本人の感性からすると、「宇宙の中で我々が生きていられる環境があることが奇跡に近い」と言うならば、その奇跡こそが「神の愛」アガペーであるという感想は、一定の支持を得るのではないかと思う。

大学合格とか、良縁とか健康とか家庭円満とかの御守りを買っても、「神様が自分を幸せにしてくれた」と信じられる人は多くないが、今生きていられる環境があるのは神の愛です、と言われれば、まあそんなものか、と思ってしまいそうである。

太陽の光を浴びて、風に吹かれて、雨に打たれる私たちがいることが、その証明となる。それくらいなら、無神論者が多い日本人も、まあそんなものか、と信じてくれるのだろう。

2/22/2023, 12:40:59 PM