気が重い。気どころか、体まで重くなってきた。とてつもない喪失感と焦燥が、僕の情緒をめちゃくちゃにしていく。楽しかった一ヶ月の光景が走馬灯のように瞼の裏を横切って、脳に焼き付いた快楽と怠惰は去ろうとしてくれない。机に山積みにされた紙の束と、一階から聞こえる母の怒声。焦燥だけは心に積もり続けているのに、体は一向に動こうとはしてくれない。無意味スマホをスワイプする指は止まらないし、ベッドからも起き上がれない。8月の頭の方なら、この時間はまだ明るかったはずなのに。ちらりと窓を見れば、磨りガラス越しに深い藍色と鮮やかな茜色のグラデーションが見えた。もう日が暮れている。その不変の事実が、僕に晩夏の訪れと終わりの始まりを伝えてきた。
なんとか眠気と怠さを振り払い、机に向かうことに成功した。鉛の重りでも付けられたかのように重たい腕をなんとか上げてペンを握るが、握っただけで動けなくなってしまった。冊子を開いて、答えを書き写すだけの作業をしようとする。けれど、文字が頭を滑ってしまって読めない。確かに文字として認識してはいるのに、読み込みの途中でエラーでも起きたかのように理解ができないのだ。結局、2,3文字書いてペンを手放してしまった。意味もなく冊子の数を数え、かかりそうな時間を適当に計算する。寝る時間から逆算して、まだ余裕だと焦る心に言い聞かせてベッドに潜り込んだ。中途半端に残った理性の真面目な部分が、どうせ無駄なのに無為に切迫感と悪い想像ばかりを心に流し込んでくる。とうとう画面をなぞる指さえ動かせなくなって、視界がぐにゃりと歪んだ。
いつもこうだ。毎年毎年、こうして焦燥で身を擦り減らしている。検索履歴を適当に押せば心のホットラインの電話番号が表示されるし、AIとのトーク履歴を見れば病んだ人間の情けない愚痴が吐き出されている。自己嫌悪が悪化して、ほぼ無音で涙だけを溢しながらスマホを伏せた。
気怠さを纏った夕日は、僕を置いて沈んでいく。明日からの生活のことも、もう何も考えたくない。どうして僕は現代社会に生まれてしまったのだろうか、なんてどうしようもない考えばかり膨れていく。毎年のこの時期に誰もが罹る病。僕は、それが人より少しだけ重いらしい。普段の日曜日の喪失感なんて比じゃないくらい、希死念慮と自己嫌悪が胸を突き刺していた。病名の無いこの病気は、今も確かに、夕日が沈むのと同じ速度で誰かの首を絞めているのだろう。
テーマ:8月31日、午後5時
8/31/2025, 2:50:31 PM