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 新しい手ぶくろを買った。2年前にもらった手ぶくろがとうとうだめになってしまったのだ。それは父親からのプレゼントで、どうせならゲームカセットなどの方が嬉しいと思ったものだ。
 しかし私は結局数年、それこそ大きさが合わなくなるまで使い続けた。なんの変哲もない、模様の1つもないただの黒い手ぶくろ。父親にもらったという以外特別なところなどなかった。

 今思えば、あの頃私はもっと父親一緒に居たかったのだろうと思っている。父親は仕事人間で、家に帰って来るところを見るのは私の誕生日くらいなものだった。でもプレゼントなどはなく、食事を一通り終えればすぐパソコンに向き合い何かを打ち込んでいたのを覚えている。
 そんな父親からの初めてのプレゼントが手ぶくろだった。私はその手ぶくろを着けて、またはいつも持ち歩いていた。手ぶくろは明らかに冬用だったが、季節など関係なく持ち歩いていた。
 母親はそんな私を困ったように見ていたが、特に何をしてくるというわけでもなかった。

 そして、私の13回目の誕生日、その前日に父親が事故に遭ったと知らせが入った。
 父親の傍らには、プレゼントらしきぬいぐるみが入っていたらしい。
 葬式のあと、そのぬいぐるみを渡された。赤いマフラーと、黒い手ぶくろを着けた、可愛らしいくまのぬいぐるみ。一緒に手紙も添えてあった。
 かなり大きめの紙で、何度も書き直したのか、消しゴムで消した跡がたくさんあるしわくちゃの紙の真ん中に、一言だけ。

『お誕生日おめでとう』

 私が父親から貰ったプレゼントは、飾り気のない黒い手ぶくろと、赤いマフラーと黒い手ぶくろを着けたくまのぬいぐるみだけだった。
 父親が亡くなってからというもの、私は年がら年中手ぶくろを着けていた。そうしていないと、父親との思い出が薄れてしまいそうだったからだ。ぬいぐるみはクローゼットの奥に仕舞った。父親が死んで残したものを、見たくなかったから。

 でも、手ぶくろはずっと使えるものではない。手ぶくろは成長するにつれて買い替えるものだ。なのに私は小さくなっても使い続けていたため、ついに限界が来てしまった。
 私はいろいろなところになんとか直せないか掛け合って見たのだが、どこに行っても無理だと言われてしまった。
 諦めて家に帰ってから、母親と話をした。父親のことを話しているともういないということが辛すぎるから、父親の話はしなかった。母親は、急に神妙な顔になったかと思うと、なにかを持ってきた。
 赤いマフラーと、黒い手ぶくろを着けたくまのぬいぐるみ。父親からの、最後の私へのプレゼント。
 それを見て、私は泣いた。父親の葬儀のときもここまで泣かなかっただろうに、ぬいぐるみを見て、もう誕生日に来てくれることはないんだと気付いて、泣いた。
 結局、私は現実から目を逸らしたかっただけなのだろう。父親はまだいると、また私の誕生日を祝いに来てくれると。2度目で最後のプレゼントのぬいぐるみを忘れて、初めてのプレゼントだった手ぶくろに執着していた。また来年もプレゼントをくれるのだと、信じたいだけだった。

 気が付くと、私は眠っていた。小さくなり、ボロボロになった手ぶくろと、真新しい、赤いマフラーと黒い手ぶくろのぬいぐるみを胸に抱いて。

 そして私は、母親と共に服屋に来ていた。母親は心配そうに私を見ているが、私はもう決めたのだ。新しい手ぶくろを買うと。

12/27/2022, 5:07:18 PM