かおる

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 21時を過ぎる頃。
 にゃおんという鳴き声と共に、何か柔らかいものが窓ガラスにぶつかる音が鳴る。
 もうそんな時間かと、何となく眺めていた動画サイトを閉じ、早足で音の鳴る方へ向かった。
 カーテンを開けるとそこには1匹の白い猫が澄ました顔で佇んでいた。
 首輪こそしていないが、綺麗な毛並みと人慣れした様子から飼い猫なのではないかと予想している。
 だがどこの誰に飼われているか等はさっぱりわからない。ただ、私がこの家に引っ越してきた当初から毎週金曜のこの時間になぜかやってくる謎多き猫なのである。
 カラカラと窓を開けると、まるで挨拶するように猫がひと鳴きする。
「おかえり。帰らないんなら帰らないって連絡してよね、心配したんだから」
 怖がらせないよう心がけながら少し怒ったような声で話しかける。
 先週のこの猫は怪盗だった。帰り際に私の心を盗んでいったということになっている。
 その前は友人。さらにその前は相談相手。他にも恋人、家族、好きな俳優、見ていたドラマの主人公等々。そのときの気分と勢いで猫と私の関係は決まる。
 週に1回の一方的な関係。
 喋る人のいない一人暮らしがそこまで寂しくないのは、この時間のおかげなのかもしれない。
 ちなみに今週は外泊ばかりする同居人である。
「まあ無事だったからいいけど。ちょっと待ってて水取ってくるから」
 そう言って私は一度部屋に戻ると、水入れと天然水のペットボトルを持って窓辺へと戻った。
 カリカリを用意しようかと思ったこともあるが、推定どこかの家の飼い猫に勝手にあげていいものか悩んだ末、給水所となっている。
「よく買い置きしてた水ってこれでいいんだよね? 違ってても文句言わないでよ」
 にゃおと鳴く声は返事をしているようにも、早く寄越せと言っているようにも聞こえる。
 当たり前だが水は私が勝手に用意しているものである。インターネットによると猫には中性の軟水が良いらしいので、南アルプス産の水をあげている。
 会話しているようなその声に笑ってしまった表情を引き締め、とくとくと水を注ぐ。あくまで私は中々帰ってこないこの同居人を心配しつつ怒っているのだ。
 水を注いで猫の前に置けば、待ってましたとばかりに器に顔を寄せはじめる。
「ねえ今回はどこに行ってたの?」
「明日友だちとご飯行くんだけどさ、服が決まらないんだよね。スカートにすべきかパンツにすべきか」
「最近本当に暑くない? もうじめじめして嫌になっちゃう」
 他愛ないことを適当に喋っている私を無視して、猫は水を飲み続けている。これもいつものことである。
 どうやら猫は私をうるさいだけで無害と判断したようだ。ちらりともこちらを見ない。
 ただしこのときに触ろうとしてはいけない。一度あまりにも大人しい様子につい手を伸ばしたら逃げられてしまったのだ。
 しばらくしてもう十分なのか猫が顔をあげる。気まぐれな猫は機嫌がよければこの後触らせてくれるが、今日はどうだろうか。
 期待を込めて見つめていたが、猫は立ち上がりくるりとこちらに背を向ける。
「あ、もう行っちゃうの」 
 猫は残念そうな声をあげた私を一瞬振り返り、にゃあとひと鳴きし走り去ってしまった。
「ちゃんと帰ってきてね」
 夜に消えてしまった今日限定の同居人に声をかけ、水入れを回収する。
 去ってしまった背中を寂しく思いながら、それでも私は来週のあなたが何になるのかを考えると楽しみでしょうがないのだ。

5/21/2024, 7:28:26 AM