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秋の訪れ

訪れた秋の気配に、妻は早々に夏の気配を消していった。
ソファのクッションカバーを白とくすんだ水色のリネン生地から、栗色や深みのある赤のフランネル生地に、ラグは波を思わせる幾何学から、紅葉のようなグラデーションのものに変えた。玄関のニッチや本棚の片隅には、秋をモチーフにした雑貨がいつの間にか飾られている。
妻に限らず女の人はそうだと思うけど、まだ気温が高くなるような日でも、すっかり秋のファッションだ。ジャケットを羽織り足元はサンダルやバックストラップのパンプスから足全体をしっかり覆うものになった。ネイルもリップも秋色ってやつに変わる。色づく前の木々よりも一足先に、華麗に秋を身にまとう。
確かに朝晩の空気はひんやりと心地良くなったし、夕暮れが早い。寝る時にはブランケットがもう一枚必要だし、エアコンだって、オフすることも多くなった。キッチンには昨日妻が買ってきた柿。
十月。暑い日もまだあるが、しかし確実に季節は進んでいる。
だが一つだけ、夏を残しているものがあった。我先にと秋仕様になった妻が片づけなかった夏。それは深く青い海を思わせるものだった。

夕食後、妻が柿を出してくれた。
切り分けられた柿は、群青色のガラスの平皿に丁寧に並べられていた。
一見ガラス皿と気づかないほど濃い群青色だ。皿のふちがうっすらと透明になっているのに気付けばガラスだとわかるくらいの濃い青。
澄み切っていながら深く濃い青は、夏の海を思わせる──これは妻のお気に入りの器だった。

「柿が出たらこのお皿で出そうと思ってさ」
妻が言った通りこの群青色は柿のオレンジ色を際立たせている。
「なんでも合うから便利なんだよね、このお皿」と満足げな妻。
昔、友人と沖縄旅行に行った時に一目見て気に入ってしまったのだそうだ。
明らかに夏の海を思わせるその皿は、妻が気に入ってるだけあって、よく使われていた。特に初物の果物を出す時はいつもこの皿だ。確かに群青色はフルーツの瑞々しさや、色鮮やかさを引き立てている。刺身とかも合いそうだ。
だけど僕は知ってるんだ。その、一緒に旅行に行った友人っていうのは元カレだっていうことを。
ここぞとばかりに登場する群青色の皿。お気に入りなのは、大事な思い出が詰まっているからだからだろう?
妻が、光の当たり具合ではきらりと光る器をそっと撫でる時、あの男と南国で過ごした夏の思い出に浸っているようで僕は複雑だった。きっと妻は、沖縄の美しい海辺を奴と手を繋いで歩いたに違いない。奴は繋いでいた手を妻の腰に回し妻は奴の胸板にそっと頬を寄せる。愛の囁きは波にかき消されて、いつしか二人のシルエットは一つになり……

「君は本当にこの皿を大事にしているんだな。まあ、そんな濃密な夏の思い出があれば無理もないか……」と思わず口から出た僕の呟きに、妻は怪訝な顔をした。それから妻は少しの間考えたのち、はっと思い当たったようだが、すぐに呆れた表情でため息をついた。
「濃い青色はいろんな料理に合うし便利だから使ってるだけだよ……ていうか、あなたのそういうところ本当にめんどくさい。勝手に色々妄想して、物語作っちゃってんでしょ。夏だったら確実にイラっときてるけど、まあいいか秋だし。食べなよ柿」
ほら、と妻は柿を一つ楊枝に刺すと僕の口の前へと差し出した。

夏だったらイラっとさせてしまうような僕の面倒くさい性格、嫉妬のあまり妄想を広げてしまう悪癖は、何故か許されたらしい。秋の訪れは妻の心をも平穏にしてくれるのだろうか。ありがとう秋。柿も美味い。
この時以来、柿は秋らしさを感じるような黒に近い深緑の渋いお皿に盛り付けられるようになった。群青色の皿をいつの間にか見かけなくなったことに気づいたのは、それからしばらく経ってからのことだ。


10/2/2025, 2:52:17 AM