ねここ

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【ありがとう】

あの日はじっとりと全身の毛がまとわりつくような湿度の高い六月だった。
雨が降りそうな気配がしたから、どこかで雨宿りをしようと大きな建物の入り口へと向かった。
ママと離れ離れになってから、どのくらいの時間が経っただろう。もう匂いを感じないので、ずいぶんと遠くへ行ってしまったのかもしれない。
ママがいない寂しさから建物の隅っこで丸くなる。
ママと離れてからというもの、狩りも下手くそなあたしはいつだっておなかを空かせてた。
もう、このまま死んじゃうのかな。
この先だれにも頼れないまま、カラスに突かれるのに怯えながら生きていくくらいだったらそれでもいいのかもしれない。
諦めかけていたその時、建物の中に繋がるドアが開いた。
「えっ! 仔猫!?」
ものすごい勢いで目の前に近づいてきた毛むくじゃらの犬と人間。

食われる!

そりゃあ、このままでは死ぬかもしれないと覚悟をしたばかりだけれど、こんな大きな犬にぱくりと食べられて終わりなんて、あんまりだ。
鋭い牙を剥き出しにして、来るであろう痛みに備えてぎゅっと目を閉じる。
でも、頬に触れたのは想像していた痛みなんかじゃなくて生温かい、ぬるりとした感触。
犬は唾液まみれの舌で何故かあたしを舐め回していた。
「こ、こらっ! こまち! 猫ちゃん、怖がってるでしょ!」
『こまち』と呼ばれた犬は、飼い主である人間に止められてもあたしの体を抱え込んで離さない。
まるで母犬が子犬を守るように。
母犬が子犬を安心させるように、何度もペロペロとあたしの毛づくろいをする。
なんなんだ、この状況は。
「……そんなにその猫ちゃんのことが気に入ったの?」
固まるあたしと、人間の言葉に応えるようにワンッと吠える犬を見比べて、人間が言った。

「ねえ、もし行くとこがないなら……うちに来る?」

それはあたしが、この人とこの犬と家族になるってこと?
硬直したまま視線だけを『こまち』に向けると満足そうに尻尾をブンブンと振っていた。
家族を失ったあたしに、また新しい家族ができる。
あまりにも急な展開にまだ頭は追いつかないけれど、これは『こまち』が結んでくれた大事な縁。
あたしは感謝の気持ちを込めて、おそるおそる『こまち』の鼻先をぺろりと舐めた。

2/15/2025, 11:50:19 AM