孤月

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最近、自然に還りたくなる。
海の側へ行くとそのまま流れて行きたいし、川の側へ行くと海まで流れて行きたいし、山の側へ行くと土の中に戻りたくなる感覚を覚える。生きている感覚を忘れたくて、軽い現実逃避に浸っている。多分もうわたしは死んでいるんじゃないだろうか。何度も考えるけど、やはり自分はこの世に存在しているようである。暑さや寒さを感じるし、感情だって曲がりなりにもあるし、人肌恋しくなるし、孤独を感じるし…。まだ生きなければいけないという拷問に耐えなければ、望むような破滅には向かえない。自滅して社会的に死んでいる今、私はもっとも死に近づいているのか。社会的な死は自殺への第一歩なのかもしれない。
このままここで眠ることで、凍死できないかな。
海の側で寝たら、朝起きた時には溺死できてるかな。
しばらく食べないでいたら、餓死できるだろうな。
小さい頃から「死」のことばかり頭をかすめて、ずっと「死」を目標としている気がする。私は「生」に向かって生きることができないのかもしれない。
いつか死ぬなら頑張りたくない。楽したい。なんで皆生きようと足掻くことができるの。人間としての幸福を当たり前に望もうとできるの?
社会に背く自分が嫌になるのに、何処か優越感を覚えてしまうのがもう、変えようのない事実なのかもしれない。私は変われない。どうあがいても「生」の人間になれない。開き直っていっそもっと悪いことをしたい。犯罪すれすれの思考を持っていながら、普通に生きようとする自分に吐き気がする。もう誰とも関わらないで欲しい。これ以上他に悪影響を与えるな。「死」を一緒に望んでくれる優しい人を見つけようとしている気がする。それが私にとっての依存であるのだろう。ごめんね、こんな犯罪者予備軍放っておいていいんだ。なけなしの良心が心に訴えてくる。人の事をもっとちゃんと愛したいのに、私にはそんな能力が備わってないみたいで。
寂しい。孤独。誰か救って。厨二思考から抜け出したい。
依存先は沢山あるのに、分厚い壁は本音を隠している。どこでも上辺だけの関わり。自分の寂しさや孤独の捌け口。なんて傲慢な思考なんだろう。こんな人間がどうやったら生まれるのか。「死」についてもっと語りあいたい。「死」の間際まで誰か一緒に行って欲しい。これも本音じゃないな。どれが本音かも分からない。
人と関わってもどうせ壊してしまうから、もう関わりたくない。でも関わらないと生きていけない。嫌だ。やっぱり生きていたくない。誰かに好かれそうになると逃げたくなるし、嫌われるのは怖いし、無関心は辛いし、人間関係煩わしくて嫌。早く自然に還して…でもまだ生きていたい!

2/28/2024, 3:10:16 AM