すゞめ

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 俺たちの住む地域には直撃しない予報だが、現在、大きな台風が発生している影響で大雨警報が出ていた。
 日用品を買い出しに行く予定だったのだが、朝から警報まで発令している状態で彼女を外に出すわけにはいかない。
 せめて解除されるまでと、一応、出かける準備を簡単に整えて自宅で待機していた。

 外から打ちつける雨音は激しさを増している。
 目に痛いくらいの鮮やかな青空が、今はぶ厚い灰色の雲に覆われていた。
 リビングの照明を明るくさせて、テレビをつけて気象情報を垂れ流す。

「雨やまないねえ……」

 ソファの上でクッションを抱える彼女が、退屈そうに呟いた。
 クッションを抱えながらベランダの窓のカーテンをめくるが、シャッターを閉めているので外の様子は見ることができない。

「……」

 彼女の発した「雨がやまない」という言葉。

 昔、ある有名な文豪が「まだ一緒にいたい」という外国語を「雨がやみませんね」と和訳したらしい。
 奥ゆかしい日本人の性格を美しく表現した文芸家らしい意訳に、文字を綴る端くれとしてひどく感銘を受けた。

 駆け引きを嫌う彼女が、そのような意図や情緒を含ませていないことくらいは理解している。

 しかし、暇を持て余した彼女が落ち着きなくリビングをウロウロし始めたのだ。
 放っておくと特大マットを広げて、筋トレでも始めてしまいそうである。
 どうせ時間を潰すのなら俺にかまってほしかったため、ちょっとばかし仕掛けてみた。

「……きっと、月もきれいですよ?」

 俺は「愛している」という意味が込められた有名な言葉で返し、ソファに座って腕を広げた。

「え、月?」

 彼女は首を傾げながらも、ちょこちょこと素直に俺の前に寄ってくる。
 そして、なんのためらいもなく俺の前に腰を下ろした。

 最高である。

 交際を始めておよそ3年。
 彼女を徹底的に甘やかして防御壁と警戒心を蕩かして、丹精込めてここまでお育てした甲斐があった。

 抱えていたクッションをはぎ取り、彼女の腹に腕を回して密着する。

「ええ。愛しています♡」

 彼女は、生活力は低いが知能指数は高い。
 俺がストレートに言い直せば、自分の発言した言葉に隠された意味を察したようだ。
 今日は彼女と言葉遊びを楽しむことに決める。
 彼女をかまえて、口説けて、イチャイチャできるのは最高だ。

「……っあ、ちょ、まっ!? ち、違うっ!!」

 とっさに弁明できない彼女が、慌てふためいた様子で振り返る。
 少し赤らむフワフワで柔らかな頬に軽くキスをした。

「おや。違いましたか」
「そ、そんなつもりは……ない、よ?」

 キスをされた頬に手を当てらいながら、彼女は唇を尖らせる。
 寂しそうに長い睫毛を揺らす彼女に、メイクを崩してはいけないという気遣いが裏目に出たことを悟った。
 彼女を抱きしめる腕に力を込める。

「ではもう少しここにいましょうか」

 どうやらこちらの意味もちゃんと把握しているらしい。
 ボンッ、と、彼女の顔が本格的に真っ赤に染まった。

「ねえっ!? だ、だからっ、違うってば!?」
「ええ。わかってますよ?」
「〜〜〜〜っもうっ! 濡れて帰るっ!!」

 元気よく照れる彼女を愛でていたら、勢いよく立ち上がろうとする。
 とんでもない言葉が飛び出してきたから、慌てて彼女を捕まえた。

「ちょっと。あなたのおうちはここですよ。そもそも、こんな雨のなかどこに帰るつもりでいるんですか。折りたたみますよ?」

 ギリギリ反射神経が間に合ったおかげで、なんとか彼女の脱走を阻止できた。
 しかし彼女は諦めずに抵抗を続ける。

「たった今、実家に帰りたくなったわっ! たたむなっ! おたんちん!」
「はあっ!? なんてこと言うんですか!? ダメですっ! 寒いでしょう!? 寒いですよね!? こっちきてください暖かいですからっ!! 俺と見る海はきれいだし虹はきれいだし星はきれいだし夕日だってきれいですよっ!?」

 さすがに「実家に帰る」はずるいだろう!?

 彼女の体をソファに押し潰して、物理的に逃げ道を塞いだ。
 勢い余って俺の胸で顔を潰してしまったらしく、呼吸を確保しようとモゾモゾとよじ登ってくる。

「ちょいちょいちょいちょい多い多い多い多いっ! 重い苦しい潰れるっての! いったん落ち着けよっ!」
「うわ、うるさ」
「やかましいわっ!」

 落ち着けって言ったのそっちのクセに……。

 苦しいのはかわいそうだから呼吸は許したのに、耳元ででかい声で騒がれた。
 理不尽の極みである。

「あと! さすがに全部はわかんない!」

 ジタジタバタバタと抵抗をやめない彼女の手首は掴んだまま、真っすぐ見下ろした。

「え、……な、なに?」
「すみません」

 急におとなしくなった彼女に俺は謝る。

「……俺も、ちょっと意味までは把握してません」
「なんっっっ、でだよっっっ!?」

 必死だったんだからしかたないではないか。
 グリグリと彼女は容赦なく膝を俺の腹に押し当てて、押し除けようとした。
 しかし俺も鍛えていないわけではない。
 そのまま脚を割って間に体を捩じ込んだ。

「あなたが俺のこと捨てようとするからですっ!」
「いくらなんでも人聞き悪くないっ!?」

 ギロリと睨みつけた彼女の眼差しが強くてわれに返った。

「……」

 抵抗して乱れた髪の毛、興奮して赤らんだ頬に、結局崩れてしまったメイクと、大きな声を出して浅くなった呼吸。
 俺に拘束されて手首は自由を奪われ、下半身は密着していた。
 ちょっとこの体勢はマズい。
 そう思ったときにはもう遅かった。
 彼女の唇に視線が移ろいだとき、プッツンと理性が弾けたのを自覚する。

「俺は悪くないです」

 そういえばさっき、お口にキス、してほしそうだったよな……?
 メイクも崩してしまったから、もういいか。

 責任を彼女に転嫁して、容赦なく距離を縮める。

「いいから。いったん黙って俺に愛されろください」
「ちょぉ、……ん……っ」

 少し強引に唇をさらい、雨足が落ち着くまで彼女をドロドロに甘やかしたのだった。


『雨と君』

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『雨がやみませんね』
……もう少しあなたと一緒にいたいです
『月がきれいですね』
……あなたを愛しています
『もう少しここにいたいです』
……まだあなたと離れたくありません
『濡れて帰ります』
……あなたとは一緒にいたくありません
『寒いですね』
……私を抱きしめてください
『暖かいですね』
……あなたが隣にいてくれて幸せです
『海がきれいですね』
……あなたに溺れたいです
『虹がきれいですね』
……あなたと繋がりたいです
『星がきれいですね』
……あなたに憧れています
『夕日がきれいですね』
……あなたの気持ちを知りたいです
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9/7/2025, 10:57:44 PM