「おいで。」
小さい頃から大好きな人がいた。
町から少し外れた小さな家で、ひっそりとたった一人で住んでいた。
小さな家の住人は、私が幼い頃はまだ高校三年生ぐらいでまだまだ幼さの残る顔立ちだった。
木材を主に使われ作られた家は暖かく、秘密のお家のようでとても大好きだった。
何よりもその家のなかで暖炉に火を灯し、暖かい笑顔で私に「おいで。」と呼び掛ける彼が大好きだった。
当時の私はまだまだ社会を歩いていなくて、中学校に入学したぐらい。
中学校といっても小さな町の中学校だからか、生徒はみんな見知った顔。
それでも中学生といったら、人を信じることができずに不安定になる頃だ。
家族も友達もそばにいるのが時折苦しくなる。
そんなときに私はよくあのお家に行っていた。
「お邪魔しまーす。」
私が幼さの残る声で家に声をかける。
そのお家は平屋である程度の声で家全体に声が響く。
「はーい」
ベランダで煙草を吸っていた彼は直ぐに煙草を消し、
部屋にはいってくる。
部屋に戻るとお菓子と紅茶を持って暖炉の前に座る。
そして私に一言言う。
「おいで。」
その一言を聞いた私は嬉しくなって彼の胸のなかに飛び込む。
それが私の日常だった。
3年程たって私が高校へと進学した。
彼のあの家は彼の存在ごとどこかへ行ってしまった。
今もどこかで暮らしていればいいけど。
彼がいなくなったあの日から私は思うことがある。
私の存在が彼の負担になっていたのかと。
高校三年生と言ったらまだ未成年で煙草なんて吸ってはいけない。それでも彼は吸っていた。
彼には思い詰めていたことがあったのかもしれない。
「おいで。」
の一言は彼にとって退屈な時間の始まりで、早く私に帰ってほしいと思っていたかもしれない。
それでも彼はなにも言わず私につきあってくれた。
あぁ。彼はとても優しい人だったんだ。
雪が降り、凍える朝にふとあのお家の方向をみてしまう。暖かいあの家は暖かい彼はもういないのだと実感する。
私はいまだにあの「おいで。」以上に暖かい言葉を聞いたことがない。
12/12/2025, 11:17:31 AM