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「あなた、あのバラエティ番組、毎週録画に設定してたでし
ょ」

私はひとつ息を着き、視線を窓から横になっている貴方の隣に移し、また言葉を続ける。

「まったく、見ないのに溜まる一方なんだから。この前なん
てね、容量不足で私が予約したドラマ、撮れてなかったの
よ?」
「……ごめん」
「まあ、いいんだけど。…ねえ見て、さっき花屋で買ってき
たの」

そう言って私は肩にかけた鞄から、パッケージに色とりどりの花々と「チューリップ」の文字がプリントされた袋を取りだし、あなたの目の前に持っていく。

「じゃーん、チューリップの球根!十二月中旬までに植えれ
ば、春には咲いてくれるって。明日にでも植えようと思って
るの」
「……そっか、良いね、ところでさ、」
「そう楽しみなの!そう言えば卵焼き器も買たのよ!あなた
も良いねって言ってたし、私も欲しかったから。年末セー
ルで安くなってたのよね」
「良かったね、それでさ、」
「そうでしょ! あ! あと私ランニングシューズも買っちゃっ
た!あなたと一緒にランニングしたいなって思ってね」
「そうだね、それで」
「今は寒いからヤだけど春になったら暖かくなったらあの小
学校の前とかいっしょに走ったらきっと桜が満開で綺──
「なあ!!!!!!」

突然怒鳴られ、思わず大きく肩が跳ねる。鼓動の打つ音だけが部屋に響く。

「……ごめん、大声出して」

重い静寂を破りあなたがポツリと呟く。私が返事をするより先に、あなたはその先の言葉を継ぐ。

「その番組予約、解除していいよ」

「え」

「俺の弁当箱棄てていいよ、
俺の箸も棄てていいよ、
俺の本も売っていいよ、
俺のポスターも剥がしていいよ、
俺のダンベルも棄てていいよ、
俺の布団も棄てていいよ、
…………あとさ、俺の靴、それと服も棄てていいよ」

五臓六腑を掴まれたような感覚に陥る。私はやっとの思いで息をする。喉が、舌が、乾涸びて上手く喋れない。

「…………ゃ……やだ、やだよ」
「なあ…お願いだから現実を見てくれ。
俺はこの冬でお終いなんだよ」





言葉も水分も失った口とは裏腹に、瞳から零れた滴が白い寝具に灰色の斑を作る。

「俺が居なくても、お前は大丈夫だよ」

その時、私は初めて顔を上げてあなたの方を見た。病室のベッドに横たわり、その腕には点滴の針が刺さっている。あなたの頬の痩けた顔は、そのシーツの白より真白だった。あなたは弱々しく口角を上げてみせる。その今にも消えてしまいそうな笑顔に、私の瞳孔は縫い付けられた。その笑顔に心は慰められるどころか、目を細めてとめどない落涙を抑えることすら出来なくなった。

「そう言えば、家の借り換えの手続きは済んだ? 俺名義だっ
たよね。あと親には財産分与がお前にも行くように連絡し
たから、安心して。あのミニバンは折半で買った事も言っ
たよ。ああ、あと友人への訃報は……」


泣きじゃくる私に、あなたは延々とこの先の大切な必要な事を話し続ける。
嫌だった。あなたの欠けた生活など考えたくもない。今も私達の家の中であなたの痕跡を探し続けているのに。何かに出会う度に、これをあなたと話そうと、意識せずとも考えてしまうのに。私達は何となく他愛のない会話を重ねながら、これからも季節の移ろいを見守っていくのだと信じていた。あなたとなら特別な物語でなくたって良かった。あの日常が恋しくてたまらなかった。溢れる嗚咽を必死に堪えながら話しかける。

「……ね、ねぇ」
「なに?」
「いつもみたいに、何気ない、話が、したい」

あなたは少し困った顔をして、暫し目を伏せ考える。そしてこちらに向き直り、少し首を傾げてみせた。

「今日は晴れだから、 日差しが暖かくて……良い日だね?」

ねえ、それじゃまるで初対面の話がない時の台詞じゃないの。あともう年末だよ、外は天気が良くても凄く寒いんだよ。もっと別の話が──でもそれは、言葉に出来なかった。この病室に日常なんて物は訪れない、くすんだ天井を見上げて日々をやり過ごすあなたには、何気ない事すら存在し無いのだ。
黙り切った空間で、私の嗚咽と遠くで鳴る夕方のチャイムが不響和音を奏でている。

私達がとりとめもない話をする時期は、もうとっくに過ぎ去ってしまったらしい。


【⠀とりとめもない話 】

12/17/2024, 4:33:50 PM