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仲間になれなくて


闇夜の森へとあたしは一人、踏み出した。
背後であの子の哀しげな遠吠えが聞こえる。ごめん、一緒には行けないの。今回ばかりは来ちゃだめ。優しいあの子は連れて行けない。
一人で進むしかない。森の奥深くに棲むあいつらに会うためだから。

毛むくじゃらの巨体、耳まで裂けた口、くさい息、黒くて長い爪が伸びた手足、瞼のない黄緑の目は闇の中にギョロリと光る。頭に角を生やした奴、全身鱗だらけの奴。どんな奴もみんな醜い。醜いのは見た目だけじゃなくて心もだ。命なんか虫ケラみたいに思ってる凶悪な奴ら。森の奥にはそんな奴らが棲んでいる。

あたしの顔は森の木の枝に引っ掻かれて傷だらけ、足も泥でぐちゃぐちゃ。
それでもあたしは奴らを探して森の奥を彷徨う。あいつらの仲間になるために。
散々歩き回って、あたしは叫んだ。
「ねえ! あたしをあんたたちの仲間にしてよ!」
木の影から大きな影が揺れてニヤついた顔が現れる。ニターっと広がった口から牙が飛び出し涎がダラダラと落ちる。ちっとも怖くない。
あたしは言った。
「あんた達化け物なんでしょ。あたしを化け物の仲間にしてよ」
化け物たちは大笑い──俺たちの仲間になりたいんだってよ!
一匹の化け物が足を投げ出して言った。
「仲間になりたいなら、この足舐めな」
汚い足。硬い指毛がびっしり、黒い爪は尖って刃物みたい。匂いも酷い。だけどあたしは必死で舐めた。這いつくばってぺろぺろと。きっと娼婦ってこんな感じだ。舌が痛くて気持ち悪かったけど、あたしは娼婦になった気分で上目遣いで舐めてやった。
化け物はあたしを見下ろして鼻で笑った。
「本当に舐めやがった!」
別の化け物が言った。
「なあ、なんで俺たちの仲間になりたいんだ?人間のくせに」
それは……とあたしは口を拭って、化け物たちをまっすぐ見ながら言った。
「あたしは、化け物になって人間たちに酷いことをしたいの」
へえ、と化け物はせせら笑った。
「人間どもに、どんな酷いことをしたいか言ってみな」
あたしは目を閉じて思い浮かべる。あたしをこの森へ向かわせた奴ら。親、先生、教室の子。あたしの周り全員だ。あたしを苦しめてあたしを無視してあたしから全部奪ってった奴ら。あいつらにはどんな酷いことをしても足りない。あいつらと同じ人間なんかでいたくない。
「腹を切り割いて生きたまま内臓を引き摺り出してやる。顔の皮膚を全部削いで口に詰めてやる。歯を折って目をくり抜いて髪の毛を燃やす。逃げられないよう足をハンマーで粉々にしてやる。生き埋めにして恐怖を与えて、永遠に忘れられない苦しみを味合わせるの。もう二度と生きたいって思えなくなるほどの苦しみを」
あたしが一気に言うと、化け物たちはまたもやお腹を抱えて大笑い。
「笑わせんな!」
「その程度かよ?」
「つまらんつまらん。やっぱ人間ってクソだわ。聞くだけ無駄だった」
化け物たちに笑われて、あたしは顔をぐちゃぐちゃにしながら言った。
「どうやったらあんた達の仲間になれるの?」
化け物は大きな目玉をギョロリと回しながら言った。
「人間のまま惨めったらしく生きてる方がお似合いだぜお嬢ちゃん」
「あたしがもっと醜くなって酷いことが出来るようになったら、あたしを仲間にしてくれる?」
「イヤだね。人間ってだけでお断りだ。ここまで来た勇気に免じて食わないでやるからさっさと帰んな。今のままで十分醜いぜ、お嬢ちゃん。クソみたいに惨めだけどな」
化け物たちは長い爪であたしをつまみ上げた。
あたしを森の外に放り投げた後、化け物達は闇に紛れていなくなった。
やっぱりあたしは誰の仲間にもなれないんだ。
やっぱりあたしはどこまでも独りなんだ。
あたしは地面に突っ伏して声を上げて泣いた。死んじゃいたかったのに涙は全然止まらなかった。

ふと気がつけば、あたしの背中に温もりがある。クンクン、という小さな鳴き声。置いてきたはずのあの子。唯一あたしを傷つけないでいてくれる優しい飼い犬。千切れんばかりに尻尾を振って鼻先をあたしの背中に擦り付けてる。
「ばか。化け物に見つかったらどうすんの」
止まらない涙を、温かい舌が一生懸命舐めとっていく。あたしは、ただ一匹の優しい小さな生き物をぎゅっと抱きしめる。トクトク、と少し早い鼓動があたしを包んでくれて胸の奥がじんわりと熱くなる。
その時微かに、笑い声が響いたような気がした。あいつらだ。化け物たちのあざ笑う声──ほらな、やっぱりお前は俺たちの仲間になんかなれないだろ。命の温もりに縋るなんて吐き気がする。俺たちには全く理解できないね。
化け物たちの声は頭の奥でこだまする。
──その犬を殺して食ったら、お前を仲間にしてやってもいいぜ。そんなちゃちな温もり、さっさと潰しちゃいな。
あたしは胸の中の小さな温もりを強く抱きしめて、ただただ震えていた。

9/8/2025, 2:31:26 PM