何も衝撃的なこともないのに、なぜかいつまでも忘れられない日ってあるものだ。
それはある日、まだ両親と手を繋いで歩いていたくらい小さい頃に、一人で家の日差しのさす窓ぎわで寝転んでいたときのこと。
腕が突然ムズムズした。私はこの感覚を以前も味わったことがあったはずだ。(なぜ『はずだ』と書くかというと、当時は覚えていたはずの、その感覚を味わったエピソードを思い出せないからだ)
以前はその感覚について何も表現できなかったが、今回はその感覚を表現しようと試みて、ムズムズするところを掻きながら、
「お母さん、くすぐったい」
と表現した。その時、母は一瞬キョトンとしたが、状況を察したのか、
「『痒い』のね。それは『痒い』と言うのよ」
と私の蚊に刺されたであろう腕を見て言った。
その後、痒み止めを塗ってもらったのかもしれないが、私の記憶はそこで終わっている。あの日の感触-日差しを受けたカーペットの包みこむような香り、網戸を通じて流れこんでくる風のせせらぎ-も覚えている…のかもしれない。遥か遠くの記憶同士が溶け込んでしまって、その境界線も正直曖昧だ。
だけど、私は覚えているつもりだ、いつまでも。このなんの特別でない『痒い』という語彙を知った日の記憶を。
これまでも、おそらくこれからも。
でも普通『痒い』よりも『くすぐったい』を先に知っていることなんてあるか?
ああ、思い出せなくてとても歯痒い!
いや思い出せなくて『くすぐったい』のか?
5/9/2026, 11:55:36 AM