kamo

Open App

6 雫

「給食のちゃんぽんの油のまるいのを、どうしても一つにしてみたくて、お箸でずっと雫を垂らしてたら、先生にすごく怒られちゃったの。小学校ってもっと楽しいと思ってたのに、つまんない」
「いやそりゃ怒られるだろ……給食の時間はちゃんと食べろよ…」
 十二歳年下の妹ひなたが、庭でたんぽぽの綿毛を観察しながらぶつくさ言っている。
 今月小学校に入ったばかりの我が妹は、俺に似ず知的好奇心が旺盛で頭がいい。気になったことがあるととことんまで観察したり実験しないと気が済まないたちだった。幼稚園の時は工作やら科学の絵なんやら、いろんな賞の幼児部門を総なめにしている。
 今日は、通り雨で少し濡れた綿毛がどのくらい乾いたら自然に飛ばされていくのかを確かめたいのだという。飽きずにずっと、綿毛の白いところがふんわり開くのをまっている。
「ねえお兄ちゃん。どうしてちゃんぽんの油は、一つになりそうでならないの? どういう仕組み? キッズケータイで調べても出てこないの」
「……知らない」
 なんだっけ? 油どうしは弾きあうんだっけ? 表面張力? 良くは知らない。俺は妹に似ず凡才で、中堅どころの私文にスベったしがない浪人戦士だ。ちゃんぽんの油より英単語の方が大切である。
「うーん。もっと大きな油で試したいな。四丁目の川でやってみようかな。あそこ、変な油でいつもぎとぎとしてるし」
「やめなさい。落っこちたら大変だから」
 ひなたは探求心の塊で、確かめたいことを見つけると、一人でふらふらとどこにでも行ってしまう。物騒なご時世だ。共働きの両親から「あんたずっと家にいるんだから、ひなちゃんが変な事件に巻き込まれないようにちゃんと見てなさいよ」と命じられている。両親は年の離れた末娘であるひなたにメロメロなのだ。ああ浪人生というのは、かくも家庭内における地位が低いものだろうか。
「お兄ちゃん、明日はヒマ? わたし、川に行きたい」
「やだよ……お前と歩いてると誘拐を疑われて職質されんだもん……」
「それはお兄ちゃんの身だしなみがだらしないのが悪いのよ。仕事も学校も行ってないからって、さぼっちゃだめ」
「……」
 小1ってこんなにかわいくないものだっけか。少なくとも俺の子供時代はもっと素直で愛らしかったはずだ。
 はぁ、と小さくため息をついて、ひなたはたんぽぽの観察を再開した。
 その顔が、ちょっと沈んでいる。
 こいつは入学してからこっち、まだ一度も、放課後に友達と遊んでいない。まあ理由はだいたい想像がつく。給食のちゃんぽんに夢中で雫をたらす、知的好奇心の旺盛すぎるこまっしゃくれたクラスメイト。同級生だってそうそう声なんてかけられないだろう。どれだけ苦心して一つにまとめてもぷつんとはじき出されてしまう小さな油の玉みたいに、ちょっとクラスから浮いてたりするかもしれない。
「小学校ってもっと楽しいと思ってたのになぁ」
 ひなたはさっきと同じセリフをもう一度言った。
「まあそのうち一人くらいは友達できるよ」
 面倒くさいのでそう返しておく。俺には小学生女子のことなんて分からない。
「お兄ちゃん。わたし別に友達の話なんてしてないけど」
「あーそっか、ごめんごめん」
「十八年も生きてるのに、お兄ちゃんには本当にデリカシーがないよね」
「十八なんてこんなもんだよ」
「ええー、わたしはもっと、思慮深い十八歳になりたいな」
「はいはい。がんばれがんばれ」
「またそうやって子供扱いして」
 ふてくされるひなたと、たんぽぽの綿毛をじっと見下ろした。
 天気雨で猫の毛みたいにしっとりしてしまったほわほわは、まだ完全には乾きそうにない。
「こいつはいつ飛んでいくんだろうな」
「それを今から確かめるんでしょ」
 そして綿毛が飛んだら、ひなたはどこまでも追いかけていくのだろう。俺はそれについていかねばならない。あー、めんどくせ。
 我が妹は本当に変わりもので落ち着きがない。
 しょーがねぇなぁ、本当に。

4/21/2023, 1:35:54 PM