その幼子が迷い込んできたのは、桜舞う穏やかな日の事。
「ここどこ?」
幼子としては珍しく泣き喚きもせずにいる様子に興味をひいた。
「ここは『狭間』。現世と常世を繋ぐ場所。私の塒でもあるな」
「はざま…?だあれ?」
「誰でもないモノ。強いて言うなれば『鬼』といったところか」
どこか朧げな、金に煌めく瞳がこちらを認識するも、その表情に変化はない。
感情の起伏がみられないその様は、幼子にはどうにも不釣合いだ。
だが、下手に怯えられ対話が出来ぬよりは良いかと納得し、幼子の目線を合わせるように膝をついた。
「童、何故ここにいる?」
「しらないの。にいとかくれんぼしてたの」
「そうか。なれば帰り道も分からぬな」
分かっていた事ではあるがと、視線を外し息を吐く。
さて、どうしたものか。
このまま見て見ぬふりをして、幼子がこの地を彷徨う事になっては寝覚めが悪い。
久方ぶりに塒を出て人里へ降りるのも悪くはないか。
そう、誰にでもなく言い訳しつつ幼子を見やると、痛い程強い視線とぶつかった。
否、正確には己の額から生える2本の角に視線が注がれていた。
「…なんだ?」
「ねえ、おにさま。おにさまのつの、さわっていい?」
「……好きにするといい」
一応許可を求めてはいるがその実、その手はすでに角へと伸びている。
感情の起伏がないからなのか、それとも元々の性格が故か。
どうにも肝が座り過ぎているその様子に、半ば諦め混じりに頭を差し出した。
「楽しいか?」
「たのしい。きれい、ひんやりできれい」
初めは遠慮がちに撫でていた手は、今や角だけでは飽き足らず、髪や顔を自由気ままに撫で回している。
表情こそ変化はないが、その様子はどこか楽し気にすら見え、幾度目かの溜息を胸中で吐いた。
結局、あれから一向に幼子の手が離れる事はなく。
仕方なしに幼子を抱え、現世へ続く鳥居まで送る事とした。
しかし、
「着いたぞ。早う帰るといい」
「ん、もうすこしだけ」
「…もう、終いだ」
鳥居に着けど、中々に離れる事を拒む幼子に、胸中で溜め置けなかった溜息が一つ。
やや強引に引き剥がし地に降ろすと、名残惜しげな手が袖を引いた。
「おにさま、またあえる?」
「さてな。人とは刹那に生きる故、永く在る妖と出会うは稀であろうよ」
「またあいたい」
「…童が長く生きれば。いずれは、な」
再会を願う幼子に、明確に応える事はなく。
「この鳥居は現世に続く。その先からはひとりで帰れるだろう」
鳥居へ向けて軽く背を押せば、幼子はゆっくりとした足取りで歩を進めていく。
「またね、おにさま」
鳥居を潜る瞬間、振り返り手を振る幼子は微かに笑みを浮かべ。
現世の先へと、霞消えていった。
「…またね、か」
塒に戻る道中。
先程までの幼子とのやり取りを思い、無意識に己の角を撫でる。
突然に現れた、綺羅星のような幼子。
再会を切望してはいたが、それもすぐに幼子は忘れ去るのかもしれない。
言葉に応えなければ、縁は生まれず。
縁がなければ、再び巡り会うなど至極困難な事。
妖としては綺羅星の煌めきのような刹那的な。
しかし、人としては長きに渡る生の中で、今日の事をどれだけ覚えていられるのだろうか。
最期の刻まで覚えているのか。
それとも、次の朝日が昇る頃には忘れてしまっているのか。
どちらにしても、これ以上幼子と関わる事はないのだろうと。
どこかで惜しむ気持ちから目を逸らし、夜の帳が下りる前にと、塒に向かう足を速めた。
20240429 『刹那』
4/29/2024, 11:51:23 AM