小砂音

Open App

#53 愛と平和

それを歌えた頃が懐かしい。

兄から譲り受けた部屋には、たくさんのCDと1本のギターが残されていた。
時間をかけて全部聴いた。
錆びた弦など気にもしないで、指先の指紋がなくなるまで弾いた。
自然と、歌うようになった。

独りだった。
ちっぽけだった。
若かった。
パンクでロックを気取りながらも、理解のできない英語でできた、愛と平和を信じてた。

一人だ。
大きさの分からぬ歯車だ。
もう若くはない。
トイックで800点取ったのに、理解ができなくなった歌詞。

それでも。
着慣れたスーツの奥で、鳴ることがある。
兄の墓の前で、聴こえることがある。
別れた彼女の思い出の中で、響くことがある。

恥ずかしい思いに、寝返りを打った。
一度でも信じたことがあるのなら、まだ歌えるのかもしれない。そう思ってしまった。

眠れなかった。
愛と平和どころではない月曜日を着々と迎えていた。

薄く、唇を開いた。

夜明け前の鼻歌は、掠れていた。

3/10/2024, 6:12:17 PM